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[転載]日露戦争 詳細(その2) 司馬遼太郎史観『坂の上の雲』批判;稲葉千晴『世界から見た日露戦争』

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日露戦争 司馬遼太郎史観『坂の上の雲』批判;稲葉千晴『世界から見た日露戦争』詳細(その2)
「勝てば<官軍>、負ければ<賊軍>」というように、<歴史は勝者から見た史観、日本政府の押し付け>である。

それでは、稲葉千晴(名城大学・都市情報学部教授)の寄稿『世界から見た日露戦争』の要点をご紹介する。
共著:『日露戦争研究の新視点』http://www.seibunsha.net/books/ISBN4-915730-49-2.htm
上記のURLでの大勢の日露戦争の歴史研究者がいて、<その学会の研究成果からの結論>と考えて良い。

【従来説1】ロシアの攻撃からの「祖国防衛戦争」であった。
【事実1】実際は「植民地侵略戦争」であった。

最近のロシア史の研究成果から「日露戦争前夜、ロシアは日本との戦争を回避するため、<朝鮮半島の利権を放棄する提案>をした」ことが明らかになった。
日本は、<ロシアの意図を見誤り>あるいは<無視して>戦争への道を突き進んで行った。
日本の開戦時の戦略目標は<朝鮮半島からのロシア軍の排除>および<東シナ海における制海権の確保>である。
<朝鮮半島の軍事占領を目標>としていた。立派な「植民地侵略戦争」である。
日本政府の公式発表鵜呑みにして、<本質を見失ってはいけない>。

【従来説2】ロシアは、日本領土を侵略する「悪の帝国」であるから、<日本は>戦争を<開始した>。
【事実2】実際は、<ロシアは>極東の軍事力が十分でなく、到底、<戦争を始められる状況ではなかった>。

ロシアの極東進出は、<1860年の北京条約獲得した沿海地方を開発するため>であり、経済的な意味合いが強かった。ヨーロッパ・ロシアからも遠く、補給もままならなかったため、シベリア鉄道の建設を始めたが、<開戦時には、まだ全線が開通していない>。<極東の軍事力も十分ではなく>到底<戦争を始められる状況ではなかった。
日本が、ロシアに対する悪のイメージに、過剰反応し、戦争に突き進んで行った。

【従来説3】英国は、「日英同盟」を結び、敵対するロシアと日本が戦争するように仕向けた。
【事実3】「日英同盟」は<戦争を行うためではなく、平和的で防衛的なものだ>と英国は考えて結んだ。英国は、<極東での戦争を避け、同時に、ロシアの中国進出を牽制するため>に結んだ。

英国は、日本がロシアと戦った場合、<日本の勝機は薄い>と見なしていたから、<戦争をけしかける積りはなかった>。
日英同盟では、<日本の朝鮮支配を英国が容認>している。この同盟は、<日英のアジア利権の維持・確保が目的>だった。
しかし、日本は、ロシアと戦う際に、<同盟に基き、英国が後ろ盾になる>ことを期待していた。戦争に際して、<財政や軍事支援なども期待>していた。

【従来説4】ロシアの南への進出から<東アジア全体を守るために日本が戦った>。
【事実4】日本とロシアとの間の<東アジア進出を巡る帝国主義戦争>であった。

戦争の結果を見れば、明確である。<東アジア全体を守るために日本が戦った>の説明は、韓国や満州への侵略のための日本政府の便法である。

【従来説5】戦争責任はロシア側にある。
【事実5】総じて、戦争責任は日本側にあるというべきでなかろうか。

日露戦争のキッカケは、1903年春に、鴨緑江を越えて、<ロシア軍が朝鮮側に入り込み>、森林を伐採し、<軍事基地を造った>という情報であった。日本側の再調査では、<陸軍が軍事基地>、<外務省は木材集積所>という異なった調査結果がもたらされた。<開戦直前の12月に、軍事基地でない事が確定>したが、其の時までには戦争の準備が進み、<陸軍の開戦論>に押し切られた。
時間を戻って、5月末、調査結果が定まらないにもかかわらず、東京では陸海軍および外務省幹部が集まり、戦争を賭しても<ロシアの朝鮮侵略を抑える>ことを決定。
6月以降、陸海軍は対ロシア戦争準備に着手。
8月、満州と韓国の問題を解決するため、ロシアと外交交渉を開始。
日本は、「満州利権をロシアに、朝鮮利権を日本に、の交換論」で、<ロシアを朝鮮半島から排除しよう>としたが、ロシアから見ると、<満州に一切利権を持っていない日本>が、交換論を持ち出すのは問題外であった。
<韓国には、ロシアと協力して日本の進出を抑えようとする勢力が存在>するから、ロシアも「韓国の中立化論」を提案。
12月半ば、陸海軍は日ロ交渉を見限り、本格的な戦争準備に取り掛かった。以後、開戦までの外交交渉は、軍事的に見れば、戦争準備完了までの時間稼ぎに過ぎない。<この12月に、軍事基地でないことが確定>これが陸軍の朝鮮侵略と誇張され、開戦に利用された。
ロシアの交渉態度にも問題があるが、(ロシア政府首脳は、アジアの小国日本が、世界最大の陸軍国ロシアに戦争を挑んでくるとは、想像もしなかった)、総じて、戦争責任は日本側にあるというべきでなかろうか。

【従来説6】日本の奇襲攻撃は合法である。その後の1907年の第二回ハーグ平和会議で、禁止された。
【事実6】開戦時の日本の奇襲攻撃は、違法ではないものの、極めて不名誉だ、と国際会議で断罪されたに等しい。
(後述)
【従来説7】日本の輝かしい勝利であった。
【事実7】<戦争継続能力のない日本>は、<ロシア側の条件を受け容れるしかなく>、日本が「栄光の勝利」を得たと解釈するのは難しい。

日本は、<サハリンを占領した>以外、ロシア領には一歩も足を踏み入れていない。<兵站が延びきり、膨大な消耗であり、最早、長春以北での決戦は不可能>であった。他方、ロシア軍は、主力部隊を巧妙に撤退しており、<日本軍を満州奥地に引き込み、一気に攻勢をかけようと狙っていた>。
ロシア皇帝は<敗北していないことを理由に、賠償金の支払いを拒否>した。ただし早急な戦争終結を求めたため、<サハリン南部の割譲だけ>を承認した。(ロシア国内では、革命運動が拡大し、戦争を継続する余力がなかった)

【従来説8】米国は、中立ではなく、<親日的>であった。大統領は、セオドア・ルーズベルト。
【事実8】米国は、日本とロシアと等距離を保った。親日的であり、同時に、親露的であった。
(後述)
【従来説9】日本の勝利は、アジアの民族解放運動に影響を与えた。
【事実9】確かに与えた。しかし、同時に欧州列強と同じように、<東アジアの他の民族>から<搾取を始めた日本>に、彼等は幻滅感を抱いた。
以前の、インドネシアの歴史教科書の紹介で明確なように、<日本の侵略戦争への批判は強い>。

転載元: ナザレのイエス御自身の信仰の形成過程と見えたもの


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