Quantcast
Channel: 無心
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2344

43年目の1月18日【東大安田講堂攻防戦】に思う。

$
0
0
43年目の1月18日【東大安田講堂攻防戦】に思う。
 
もう、あの日を知る方も少なくなってきたと思いますが、118日は、私たち学園闘争世代にとっては忘れられない日であり、昨年下記の記事を書きました。
その後、日本は、東日本大震災に襲われ、更に原発事故が起きました。
復旧・復興の遅れにももどかしさを覚えますが、人災である原発事故への国などの無責任な対応に、今さらながら落胆させられます。
 
 
 
196911819日【東大安田講堂攻防戦】
 
           
 
196911819日、今から42年前、全国学園闘争を象徴する東大安田講堂攻防戦が行われました。巷では、ピンキー&キラーズの『恋の季節』が流れていました。私は当時高校3年、受験直前の時期でしたが、ヴェトナム反戦、大学解体を唱える全共闘に共感し、すでに受験勉強もせず集会やデモ(といっても実態は街頭闘争)に参加していました。18日も仲間と共にお茶の水駅周辺で多くの学生達と東大を目指して機動隊との攻防に加わっていました。しかし、壁は厚く、お茶の水橋より先に進むことはできませんでしたが、その日一日たっても安田講堂は陥落することはなく、そのことは私達にとって大きな勇気ともなりました。やがて夜となり、その日は
日大の校舎に泊り、日大の学生さんから食事を差し入れてもらったりしました。
翌日も駅周辺には東大闘争を支援する多くの学生達が解放区を作って一日中機動隊と対峙し続けていました。そして、その日も夕刻まで学生たちは安田講堂を死守し
ていましたが、最後は力尽き、逮捕されていきました。
 
 
『最後の時計台放送』
われわれの闘いは勝利だった。
全国の学生・市民・労働者の皆さん、
われわれの闘いは決して終ったのではなく
われわれにかわって闘う同志の諸君が、
再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、
一時、この放送を中止します。
 
『大学ゲリラの歌』
言うなかれ君よ疲れを
世の常を又勝ち負けを
戦いのはるけき果てに
今やはた何をか言わん
赤き旗を打ち振る者の
大いなる肩を抱けよ
落日をヘルメットに砕きて
暫しただ歌い勢えよ
我は行く駒場の封鎖
君はよく病院を突け
この闘争相離るとも輝かし
ゲリラの歌いつの日か又歌わん
言うなかれ君よ疲れを
世の常を
見よ大学と名の付く所
我ら行き我ら殺すを
 
 
 
大学と名の付く所 我ら行き我ら殺すをという言葉は、現在では解りづらいかも知れません。当時、私などがもっとも憎んだものは、いわゆる大学の教官達とそれに同調する日共でした。彼らの多くは、進歩的?知識人といわれる人たちでしたが、本気で社会変革を志すわけでもなく、戦前は軍部に協力し、戦後は形だけの平和と民主主義を標榜し、60年安保でも無力で、旧帝大の果たしている支配官僚の養成機関としての役割や差別構造にも何の疑問も持たず、自らの特権的地位に甘んずるばかりか、学生を人間として扱わぬ不当な処分を平気で行っていました。そして、最後には教え子達を官憲に売り渡していったのだと思います。彼らのいう大学の自治大学は真理探究の場など全く現実離れしたきれい事で、その後現在までの日本社会の劣化を招いた責任も大きいのだと思います。
 
 
全共闘というのは、自由な個人の連合体で、入るも自由、出るも追わず、といったゆるやかな組織で、私の認識では、それまで政治活動で支配的だったマルクス主義イデオロギーを標榜する政党から離れて、イデオロギーに頼らず、自立して始められた個人を主体とする運動であった、という点に歴史的意味があったのでは、と思っています。
 
 
あの頃、私達はまだまだ革命など日本で起きることなどない、と思っていました。しかし、ただ黙っているわけにもいかない、といった気持から直接行動に訴えることが多かったのだと思います。そして、いつの日か日本が変わることを願っていたのだと思います。
 
40年経った今、日本でも、やっと国民が勇気をもって政権交代を選択するまでになった、というのは、私達から見ればとても大きな前進だと思います。そして、普通の国民が、デモや集会を自発的に行い始めたということは、やはり小沢氏同様感激する出来事です。私的には、時計台放送は、やっと再開されたのだと思います。そして、投石やゲバ棒も無しに、催涙弾の水平打ちに逃げまどったり苦しむこともなく、自ら堂々と意志表示することで社会変革できる時代になったのでしょう。勿論、まだまだ旧権力や同調する裏切り者達の抵抗は続くでしょうが、希望の未来への道筋ははっきり示された、ということだと思います。
 
 
 
引用は、すべて【大学ゲリラの唄 落書 東大闘争】 三省堂新書 より
 
 
・・・以上・・・
 
 
原発事故後、最初の1.18となりますが、事故を引き起こした原発マフィアといわれる政官財学報の人材再生産を担ってきたのが、やはり、東大を頂点とした大学機構であったと思います。あの頃、私たちは、破壊しかしない、と批判されましたが、日本の支配構造は、今からでも徹底的に壊した方が良い、と改めて思います。
 
脱原発闘争には、かつて全共闘運動に参加していた方々も再結集してきていますが、自立した広範な階層の人たちが自由に多様な方法で意志表示し始めた今の日本の闘いに、あの当時と違って、もう、余り孤立感はないのでは、と思います。地に足をつけた闘いで、利権優先の原発社会を終焉させ、国民の生命・生活を第一に考える社会を創出したいと思います
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2344

Trending Articles