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新藤映画の集大成  「一枚のハガキ」

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7月29日朝日新聞の夕刊に、新藤兼人監督の「一枚のハガキ」が紹介されていました。
以下。
 
 
 
99歳 新藤映画の集大成  「一枚のハガキ」
 
「戦争は家族を壊す。考え全部出した」
 
 99歳の新藤兼人監督が自身の戦争体験を基に作り上げた「一枚のハガキ」が、86日から公開される。自ら「これが最後の作品」だと言い、戦争への怒りと庶民の強さを一貫して描いてきた新藤映画の集大成となっている。
 
太平洋戦争末期、新藤監督は32歳で招集された。100人いた仲間はクジを引いて順番に出撃し、散っていった。生き残ったのはたった6人だったと言う。
「その6人の中に私がいました。戦争が終わってしばらくは、クジ運の良さを喜び、それをエネルギーにして、映画のシナリオの仕事をしていました」
しかし、3年、5年と経って考えが変わってきた。「94人の仲間が死んでしまったから今の私がいる、という事実が肩に重くのしかかってきたんです。私は自分の力で生きているんじゃない、亡くなった彼らに生かされているんだと
50年に松竹を退社。独立プロの近代映画協会を立ち上げ、「原爆の子」「裸の島」などを発表し、国内外から高い評価を得る。
「なぜ私はこんな作品を作ったのだろうと考えた時に、94人から影響を受けているんだと気づきました。彼らの代わりに、シナリオを書きたかった1人の男が死んでいたかもしれない。そう考えながら映画を作っているんだと」
 
新藤監督は兵舎のベッドで、戦友に一枚のはがきを見せられた。妻から届いたものだった。そこには「今日はお祭ですが、あなたがいらっしゃらないので何の風情もありません」とだけ書いてあった。
「彼はそれを私に見せてフィリピンに向かい、戦死しました。この文面がずっと記憶に残っていました。98歳になって体の限界を感じ、次作を最後にすると決めた時、このはがきのことを描こうと思いました」
 
「一枚のハガキ」の主人公の啓太(豊川悦司)は、戦死した仲間から、彼の妻の友子(大竹しのぶ)が書いたはがきを託される。復員した啓太ははがきを持って友子を訪ねる。啓太は、自分の家庭も友子の家庭も崩壊していることを知る。
戦争では多くの兵隊が死にました。しかし、戦争の悲劇の本質は、亡くなった兵隊たちの家庭が柱を抜いたようにずたずたに破壊されるところにある、と僕は思っています。戦争をすればこういう悲劇を招くんだと言うことを、単純に語りたかった。最後だから、自分の考えを全部思い切りだそうと思った。この映画が撮れて本当に良かった」
「一枚のハガキ」は6日から広島、東京で先行公開し、13日から各地で順次上映中。
 
                    ・・・以上・・・
 
 
 
この映画は、監督自身の戦争体験の記憶から作られたといいますが、戦争末期には、中年の新兵もたくさん招集されていったようです。
年老いた夫の両親の面倒を見ながら、貧しい農家を背負っていく残された妻たち、余り描かれることのなかった戦争の断面に焦点を当ててくれた映画なのだと思います。
ラストシーンは、金色にそまった麦畑、日本人の原風景のようです。
 
 
 
 
随分前のマガジン9に監督のインタビューが載っていましたので、その中から、以下に。
 
 
新藤
 僕は、昭和19年、松竹のシナリオライターとして仕事をしていた時に招集されました。32歳だから、老兵です。帝国海軍二等水兵として呉海兵団に入りました。そこで100人の隊に編成されました。それはいわゆる掃除部隊でした。最初に天理市にいって、1ヶ月ほど予科練が入る施設の掃除をして、そこの掃除がすむと、上官が勝手にクジを引きます。クジで決まった60人は、フィリピンのマニラへ陸戦隊として就くよう出撃命令が下ります。しかしちょうどそのころは、アメリカ軍は沖縄に向かっており、マニラではすでに日本軍は敗走しているわけです。そこへ行け、という命令なんだけれど、ほとんど意味がない。その60人は、マニラ・フィリピンに着く前に、撃沈させられたようです。

 僕らは二等兵として招集されたから、軍隊では一番下の位でしてね、天理での掃除がすんだから、余分な兵隊たちを処理しなくてはならない、という意図があったのかどうか知らないけれど、100人のうちの60人は、実際そういう目にあって、死んでいます。

 残った40人のうち、上官がまたクジをひいて30人が潜水艦に乗せられ戦死します。そして私を含むその10人が残り、宝塚の予科練航空隊に入り、雑役兵として掃除をさせられていましたが、そのうちの4人は、日本近海を防衛する海防艦に乗せられます。最後に残った6名だけが、宝塚で生きて終戦を迎えます。
 
編集部
 戦場ではない場所で、無惨に死んでいったのですね。
 
新藤
 僕と一緒に召集されたのは、30歳も過ぎたものばかりだから、みんな家庭の主人なんだ。主人が亡くなってあと、家庭はどうなりますか? 悲惨な運命です。

 しかし、当時の軍隊は、いちいち家庭の破壊のことを考えていては、戦争はできない。軍の司令部は、俺達が国をまかなっているという意識であり、要するに、一人の人間の権利なんて考えていません。しかし、実際に戦争を戦うのは、みんな個人なんだ。そして、ひとり一人の個には家族がある。

 だから戦争は、個の立場から考えると、まったくやってはいけないこと。いかなる正義の理由があろうとも、やってはいけないことなんです。国家として平和を守るということは、つまり国民の、一人ひとりの個の平和を守ることなのに、まるっきり逆のことをやっている。そういう観点からぼくは戦争を見ているし、そういう角度から見て、ぼくは戦争反対なんです。その理由から憲法9条も変える必要はないと思っているのです。
 

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