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Channel: 無心
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6.15樺さん追悼集会

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このところ、諸般の事情で、なかなかデモや集会に参加していませんでしたが、昨日は、60年の安保闘争で亡くなられた樺美智子さんの追悼集会に行くことができました。

毎年行われてきた集会で、場所は、彼女が亡くなった国会議事堂の南門の前で、
国会議事堂駅からすぐのところです。前日の6.14には、安保法案に反対する大規模な国会包囲行動も行われましたね。
いつも道路の反対側から大音量で邪魔をしてくる街宣車が、なぜか昨日は見当たりませんでした。逆に、いつもはいない報道関係者が若干名。女性記者の腕には、朝日新聞の腕章。

参加者は、60年当時のリーダーや国会突入に参加していた人たちなどで、みなさんかなり高齢ですが、経産省前のテント広場を造り、保持し続けていてくれる方たちなど、いまだに活動意欲は衰えてはいない方ばかり。参加人数は、予想を超えて、およそ50名くらい。

開催予定の1時近くになり、警備側の責任者らしき人が、「拡声器は、許可を得てないので、使用しないように」と言ってきました。
毎度のことですが、百戦錬磨?の司会のかたが、「もう皆高齢で、これなしでは、聞き取れない人が多いので」と許可を求めました。
私も、そばにいたので、「みなさん、暑い中、遠くから集まってきてくれているので」と頼んでみると、「じゃあ、短めにね」と許可してくれました。
「はい、長くやってたら、みな、倒れてしまいますから」というと、「こっちもだよ」と笑って去って行きました。

その後、日本山妙法寺の僧侶の方の読経、そして、全員による献花、そして、スピーチ、と続いていきました。

樺さんが亡くなった時、私は、小4でしたが、当時、安保闘争の高まりの中で、樺さんの死は、国家が、国民の意志を圧殺したようで、とても嫌な感じがしました。
岸政権は退陣しましたが、安保が成立してしまったことで、当時運動にかかわった人たちは、大きな挫折感を味わったのだと思います。その後の運動の四分五裂を悔いるスピーチをされた方は、今度こそ、負けぬ戦いを、と語られました。

当時、米国の帝国主義、ソ連のファシズム、どちらにもつかず、どちらも超えていくような社会へと、日本が進む可能性は、殆どなかったのかもしれませんし、元々、勝つ見込みのない戦いだったのかも知れません。
しかし、あれから半世紀を経て、民衆の意識は、確かに進歩したのだと思います。6.14の渋谷デモでは、普通の若者たちが、普通に声を上げ始めたように感じます。
もう、その歩みは、止まることはないでしょう。
樺さんの蒔いた種が実りつつある日本かも。



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