昨年亡くなった評論家の吉本隆明氏は、氏の戦争体験や安保体験を契機として、愛国主義や軍国主義の「君が代」もロシア至上主義の「インターナショナル」も、死ぬまで二度と歌わない、と書かれていました。そして、ぼくには、歌う歌がない、とも。
私も、昔は、「インターナショナル」や「ワルシャワ労働歌」は集会やデモの度に歌ったので、今でも歌詞は覚えていますが、やはり、今は、あまり歌いたいとは思わなくなりました。
しかし、戦後生まれの私たちには、有り余るほど自由な歌を聴いたり、歌ったり出来るようになったのだと思います。
私が初めてレコードを買ったのは、中学の頃、園まりさんの「何も云わないで」(1964年)でした。その後、「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」(1966年)と続けて大ヒットして、かかさず購入していたものです。
高校生となってからは、隠れファンとなりましたが、園さんは徐々にテレビで拝見することが無くなっていってしましました。
その後、突然、六甲の水のCM(1993年)で、その懐かしい歌声が流れ、驚いたのですが、なぜか、声だけ。そして2011年にやっとテレビにも復帰され、久しぶりに元気なお姿を拝見出来て嬉しかったのですが、テレビで語られたその半生は、想像を超えるものでした。
そもそも園さんを歌手にしたかったのは、オペラ歌手志望だったお父様で、果たせなかった自分の夢を娘である園さんにに託したようです。
園さん自身は、当時、ブロマイドの売り上げが1位となる人気がありましたが、その時も、早く自由になって、芸能界から出ることだけを考えていた、といいます。
そして、お父様とお母様の中も次第にうまくいかなくなり、家族は皆、お父様と離れて暮らすようになったようで、園さんがテレビに出なくなっていったのも、そのような背景があったからのようです。
やがて、1998年に、風来坊のようなお父様が、86歳になって、再び家族と交流するようになったものの、その時、すでにかなり肺がんが進行していたようで、がんセンターに入院。そして、しばらくしてから、弟さんが心筋梗塞で突然亡くなられ、そのこともあってのせいか、お父様もほどなく弟さんの元へ(1999年)。園さんが55歳の頃。
お母様やお姉さんもガンを患ったガンになりやすい家系だったようですが、2008年には、園さん自身にも乳がんが見つかり、入院。退院してからも、今度は、更年期障害、不整脈で苦しみ、その間に、3人娘の活動を支えた1歳上のお姉様も、くも膜下出血でお亡くなりになってしまいます(2011年1月)。このお姉さまとは、お母様の介護をお二人でなさっていらしたとのことで、その後、園さんは、仕事と介護の両立が大変で、その精神的なストレスから、声が出なくなってしまったようです。
後に、再び、声が出せるようになったのは、自分が乳がんになって、いかに多くの人たちに支えられてきたかがわかったから、といいます。
『父の治療費や入院費を支払うために、銀行のキャッシュコーナーに立ち、また父に苦労させられるのかと思いながら、お金を引き出そうとした瞬間、心が据わったんです。これはいいんじゃないかって。悔いが残らないよう、尽くせばいいじゃないかと。それからですね、父が見るからにやさしく変化していったのは。』
『「毬子(本名)は歌が天命だよ」って言ってました。父に尽くしきろうと心を決めた頃、母の日に沖縄で歌わせていただいたことがあります。客席に降りて「逢いたくて逢いたくて」を歌ったんですが、そのときの私の気持ちが、沖縄の女性たちの気持ちとオーバーラップして、涙が止まりませんでした。歌でお客さまと心の交流ができ、一緒に人生を語り合えるのが歌手なんだと、初めて歌、音楽は素晴らしいと本心から思えたのです。』
『私は病院でいろんな人を見てきました。それによって、人の気持ちに対する感受性が強くなったような気がします。』
『がん体験、父の死を機に歌で一緒に人生を語り合えるようになりました。』
確かに、歌声も魅力的で、可愛らしい園さんでしたが、中学の頃、なぜ私は、あんなに園さんに惹かれたのだろう、と自分でもよくわかりませんでした。しかし、やっと理解できました。
私の場合、母親でしたが、やはり子供に自分の夢を託すタイプの人で、当時、私も、早く大人になって自由になりたい、と思っていました。
園さんも同じような、そして、もっと深い悩みを抱えながら歌っていたので、いつも何か寂しげに見え、その気持ちを無意識に感じ取っていたのだと思います。
沖縄のおばあ達は、園さんの若いころを知る由もなく、「逢いたくて逢いたくて」の歌を初めて聞いた方も多かったのではないでしょうか。逢いたくても逢えなくなってしまった体験を持つおばあ達もおられたことでしょう。
園さん自身が逢いたかったのは、あるいは、本来の若いころの自分だったのかも知れません。
60才を過ぎ、やっと楽しく歌えるようになったという園さん、ボランティア活動にも励んでおられますが、ご活躍とご健康を心からお祈りします。
逢いたくて逢いたくて 園まり
作曲:宮川泰
作詞:岩谷時子
愛されたいとくちびるに
指を噛みながら
眠った夜の夢にいるこころの恋人
逢いたくて逢いたくて
星空によんでみるのだけど
淋しくて死にたくなっちゃうわ