ひょんなことから、関東に避難されている福島県民の方と知り合いになり、週末お会いして
3時間ノンストップでお話ししました。 女同士、意気投合すると3時間なんてあっという間です♪
福島の方々は避難するのに精いっぱいで、事故当時はTVくらいしか情報源がなく、政府のウソ発表を
鵜呑みにして、プルーム(放射能雲)があちこち拡散しているのに自分たちはまだ<安全だ>と思って、
避難するまで、普通に外に出て生活していたそうです…。
彼女の「こんなひどい事故が起きたのに、だれも責任を取らないし、警察も捜査しないでしょ。
それが一番頭にくるのよ」という発言が印象的でした。
TVで散々、ウソを垂れ流した張本人の一人、枝野経産大臣(当時官房長官)が、また国会でウソばっかり
ついています。
以下、「→」のついた青字は私のつっこみで、記事には含まれていません。
毎日新聞 「<国会事故調>枝野氏「情報集約で反省」参考人招致で認める」
*** 引用開始
東京電力福島第1原発事故に関する国会の事故調査委員会(国会事故調、黒川清委員長)は27日、事故当時、官房長官だった枝野幸男経済産業相を参考人として招致した。枝野氏は「情報を政府として十分に集約し、それに基づく予想、想定ができなかったことこそ反省すべきだ」と述べ、情報集約と提供が不十分だったと認めた。
→ SPEEDI は3月11日16時に運用開始し、IAEAには3月11日から1日2回(のちに1日1回)、
米軍には3月14日から提供していた。3月12日午前3時過ぎからの記者会見で、枝野は「風向きは
海側に向かって吹いている」と発言している。
官邸は3月12日の1号機爆発後、12日夜に、東京電力の福島事務所が爆発後の写真を報道陣に公開
したことを咎めて、東京電力の清水社長を叱責。清水社長は全社員に官邸の許可なくして報道陣に
情報を公開することを禁止させた。(ソース:東京新聞)
聴取では、政府のスポークスマンだった枝野氏が記者会見で、放射性物質による健康への影響について「直ちに影響はない」などと繰り返し述べたことに批判が集中した。
枝野氏は「すぐには問題にならないということで使った」などと釈明。しかし聴取の最後に、「私の思っていたことと被害者の受け止めとの間に、こういうずれがあったんだと改めて認識し大変申し訳なく思っている」と謝罪した。
→ 「影響がない」ことを強調するフレーズのため、TVの情報が頼りだった福島県民は、放射能雲が
流れてきているのにマスクもせず、外に出て普通に暮らしていた。
東日本大震災が起きた翌日の昨年3月12日早朝、菅直人首相(当時)がヘリで現地視察したことについては「首相がそんなところに出かけて行って、という日本的リーダーシップ論や抽象的、感情的な政治的批判は免れない。とてもお勧めできないと進言した」と明かした。ただ、「情報の把握が十分にできない中で、より(責任の)重たい人間が行って現地を把握する必要があった」とも語った。
→3月12日の午前3時の海江田・寺坂・小森の3者の記者会見終了後にベントを開始する予定で、
吉田所長はベント準備を進めていたが、吉田所長がベント命令を出す予定の9分前に、東電本店から
首相現地視察が伝えられて、ベントが延期させられた(青山繁晴氏の国会証言)
吉田所長は、3月11日夜に15条通報で2号機のメルトダウン予測を経産省と福島県に送っており、
それは「緊急災害対策本部」発表の22時35分現在の資料にも掲載されたが、3月12日00時30分
現在の資料では、その部分がそっくり削除されている。一体誰が、削除の指示を出したのか、国会で
追及すべき。
事故後、ルース駐日米大使から、米国の原子力専門家を官邸に常駐させるよう要請されたことに関し「話があったのは間違いないが、断った。官邸はわが国の国家主権の意思決定をする場所であり、同盟国・米国といえども直接関わるのはありえない」と述べた。
→原発事故が発覚した後(多分、日本時間3月11日19:03の原子力緊急事態宣言の前後)、
米NRC(原子力規制委員会)の専門家の数名は飛行機に乗って日本に向けて出発している。
官邸の報道関係記者が入れないフロアーの部屋に、アメリカNRCの専門家が4月まで常駐し、
事故収束の指揮を執っていたと、週刊誌・日刊ゲンダイで報道されている。
東電が福島第1原発から第2原発への全面撤退を政府に打診したとされる問題では「(清水正孝社長との電話で)そんなことをしたらコントロールできなくて、事態が悪化して止めようがなくなると指摘した。何の答えもなかったので、部分的に残す趣旨でなかったのは明確だ」と述べ、「全面撤退」の打診だったと主張した。
→東電に責任をなすりつけるためのウソか勘違い。原子炉を監視する最少人数だけを残し、重要免震棟に
いた女性の事務職員や関連会社の社員たちを避難させるためにバスの準備を要請した。この辺の経緯は
産経新聞が早い時期から詳しく報道している。全面撤退がない証拠として、完全停電になってしまった
福島第一に電気を通すため、仮設の変電所を築くための特別チームが編成されて3月12日の早朝には
フクイチに集合して、フクイチ幹部らと打ち合わせを行っている。世間では、消防自動車による原子炉への
放水だけが伝わっているが、この特別チームは、1号機爆発後も被曝しながらこの仮設の変電所を作る
作業を継続し、3号機が爆発した後も被ばくしながら作業を続けて、この変電所ができたおかげで、フクイチで
電気が使えるようになって作業効率が飛躍的にアップして、事故が収束できた。(ソース:電気新聞の記事)
菅氏が自身の「アドバイザー」を相次いで内閣官房参与に任命したことには「各省の情報とは別のアンテナがないと『裸の王様』になってしまう」と擁護したが、「政治的にプラスとは思えない参与を公式任命することには反対した」とも述べた。【笈田直樹、岡崎大輔】
◇枝野氏の主な発言◇
・情報を十分に集約し、予想、想定ができなかったことを反省
・東電の清水正孝社長(当時)から全面撤退方針を電話で伝えられたと認識
・菅直人首相(当時)の原発視察と内閣官房参与の任命には反対した
・炉心溶融(メルトダウン)の公表を遅らせる指示は出さなかった
・米国の原子力専門家を官邸に常駐させるよう要請されたが断った
*** 引用終了
これからも、政府の嘘は、徹底的に暴いていきます!!!!