3.11は歪んだ最高裁を変える契機ともなるのでしょうか。
以下、本日の天木直人氏のメルマガより。
「原発は止めない」が最高裁の意思だった
もうすぐ小沢裁判の判決が下される。
長きにわたって繰り広げられたこの異常な裁判に意味があったとすれば、それはこの国の「法の支配」が最高裁によって歪められているのではないかと国民に疑義を持たせてくれたことである。
そして小沢事件がきっかけとなって最高裁批判というタブーに風穴があけられたことである。
l略
発売中の週刊プレーボーイ4月16日号は最高裁事務総局が原発訴訟を歪めてきた噴飯ものの実態を検証している。
2006年3月24日、金沢地裁で稼働中の原発を差し止める全国初の判決が下された。
その判決を下した井戸謙一裁判官は、今は退官して弁護士の身だが、彼はは当時を振り返ってこう語る。
「志賀原発(石川県志賀町)では設計時の想定を上回る地震が予想され、耐震設計の妥当性に問題がある以上、原発を止めざるを得ないという判断でした。ごく当たり前の判決だと思っています・・・」
ところがその「当たり前」の判決が名古屋高裁で破棄され、最高裁でも原告の上告は棄却されたのだ。
略
「『原発は止めない』という最高裁の意思を感じます・・・」
略
裁判官は、その人事権を握る最高裁事務総局という司法官僚によって統制を受けてきた。最高裁の判決に逆らった判決を書いた裁判官は地方の裁判所やその支部を転々とする。ポストや昇給でもほかの裁判官に後れをとる。その結果裁判が歪められる。
原発推進という最高栽の意思に沿う判決が出され続け、危険な原発が運転され続けたとすれば、政府、電力会社、御用学者など原発を推進してきた「原子力ムラ」を最高裁が司法の面から支えてきたということだ、と。
とんでもない最高裁判所である。
しかし3・11福島原発事故がそのような最高裁の誤りを正してくれる事になる。
略
脱原発を願う者はどんどんと原発さし止め訴訟を起こせばいいのだ。
世論の批判を最も敏感におそれる最高裁の司法官僚たちは下手な判決を書けなくなる。
略
裁判官は国民からの罷免要求を覚悟しなければならなくなる。
略
この動きはだれにも止められないだろう。
いい世の中になろうとしている。
3・11が日本を変えようとしている。
長きにわたって繰り広げられたこの異常な裁判に意味があったとすれば、それはこの国の「法の支配」が最高裁によって歪められているのではないかと国民に疑義を持たせてくれたことである。
そして小沢事件がきっかけとなって最高裁批判というタブーに風穴があけられたことである。
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発売中の週刊プレーボーイ4月16日号は最高裁事務総局が原発訴訟を歪めてきた噴飯ものの実態を検証している。
2006年3月24日、金沢地裁で稼働中の原発を差し止める全国初の判決が下された。
その判決を下した井戸謙一裁判官は、今は退官して弁護士の身だが、彼はは当時を振り返ってこう語る。
「志賀原発(石川県志賀町)では設計時の想定を上回る地震が予想され、耐震設計の妥当性に問題がある以上、原発を止めざるを得ないという判断でした。ごく当たり前の判決だと思っています・・・」
ところがその「当たり前」の判決が名古屋高裁で破棄され、最高裁でも原告の上告は棄却されたのだ。
略
「『原発は止めない』という最高裁の意思を感じます・・・」
略
裁判官は、その人事権を握る最高裁事務総局という司法官僚によって統制を受けてきた。最高裁の判決に逆らった判決を書いた裁判官は地方の裁判所やその支部を転々とする。ポストや昇給でもほかの裁判官に後れをとる。その結果裁判が歪められる。
原発推進という最高栽の意思に沿う判決が出され続け、危険な原発が運転され続けたとすれば、政府、電力会社、御用学者など原発を推進してきた「原子力ムラ」を最高裁が司法の面から支えてきたということだ、と。
とんでもない最高裁判所である。
しかし3・11福島原発事故がそのような最高裁の誤りを正してくれる事になる。
略
脱原発を願う者はどんどんと原発さし止め訴訟を起こせばいいのだ。
世論の批判を最も敏感におそれる最高裁の司法官僚たちは下手な判決を書けなくなる。
略
裁判官は国民からの罷免要求を覚悟しなければならなくなる。
略
この動きはだれにも止められないだろう。
いい世の中になろうとしている。
3・11が日本を変えようとしている。
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