先日、小沢一郎氏の初出馬に掲げた選挙公約http://blogs.yahoo.co.jp/satomikimuraoffice/22953097.html
を知り、小沢氏を育てた両親とは、一体どんな方だったのか興味を持ちました。
たまたま本屋で平野貞夫氏の「日本一新・・・私たちの国が危ない!」(鹿砦社)を見つけ、早速買ってきましたが、この本の中に、そのご両親のことが書かれていました。
『彼は基本的に自分がトップに立つのではなく、人を支える役割だという考え方なんですね。それはどこから来ているかというと、母親の影響でしょうね。
彼の母親はここ(千葉県柏市)のすぐ近く、千葉県旧沼南町の出身でね。このへんは平将門の拠点なんです。将門を支えていたのは妙見信仰で、妙身というのは“妙なる視力”といって、事の善悪や真理をよく見通すという意味なんですけどね。北辰一刀流の千葉周作に代表されるけど、トップには立たないんだよね。たとえば伊達藩や黒田藩の家老とかね。父親も水沢の出身で妙見信仰のメッカなんですよ。将門一族が追われていくし、伊達がそうだからね。
それで彼の母親は、「総理になるより、時代を変える政治家になれ」という教育をしたそうなんです。
略
ちなみに、彼の父親が二十二年の政治家生活で未完の課題があって、それはこういうことでした。
① 貧しくとも能力のある人間が、学校に行ける社会をつくりたい(下谷区会議員立候補の公約)
② 物質文明に禍せられ、富の偏在、貧富の差が甚しく、良心と理性に基づく真の自由が生かされる社会は実現していない。自由主義の欠陥を補い高度な社会政策を断行する(昭和三年四月、衆院総選挙演説)。
③ 民主政治の原点は、公正な選挙制度の整備と、金のかからない選挙の実現である。腐敗政治を廃止し、国民の為に徹底した審議と多数決原理による健全で公正な国会運営を確立すべきだ(議運委員長、国会対策委員長経験者として、死の床にあって訴えたこと)。
これらの政治的課題は、すべて今の小沢一郎の「政治的遺伝子」に組み入れられているんですよ。
自公政権が福田から麻生政権に代わるとき、公明党が連立から出ようとする話があったんです。ぼくはその相談を受けてたので、当然小沢さんに伝えた。それで二人でいろいろ話をしたんだけど、いよいよ選挙に勝って自民党政権を倒せるかもしれないと。そのときは、あなたが総理をやるのが天命だと。そこで、やっとその気になって、選ばれれば総理になると言いだした。
(94ページ 父親の政治的遺伝子と母親の教えを守る生き様)
父親の佐重喜氏は小学校を正規に卒業しておらず、学問をしたくて家出をして、苦労の末に弁護士となった方のようで、上記の信条は、単なる言葉ではなく、氏の人生そのものの中から出てきたのだと思います。
平野氏が小沢氏と深く付き合うようになったのは、昭和五十八年、平野氏が衆院事務局の担当課長の時で、小沢氏が議院運営委員長に就任したときといいます。
『就任の日、私に「僕は学生から社会体験がなく国会議員になった。人間を見る眼がないので、その点を助けてほしい」と静かに語ったことが昨日のことのようです。実に謙虚で、自分の欠点を他人に話す政治家が、少なくなった時代でしたので驚きました。』(334ページ 資料)
と述べられています。
私は、いかに人間を知っているか語る人よりも、人間について何も知らない、と語れる人を信じます。人間を見る眼がない、と自分を認識できる人は、人への畏れを忘れない人間なのだと思います。
よく、子を見れば親が解る、といいますが、やはり小沢氏のご両親も出来た方のようです。
妙見信仰については、関東に住みながら何も知らないのですが、平野氏によると、妙見大菩薩とは北極星そのもので、何事にも揺るがない不動性、安定性、平等性そのものだと言います。
小沢氏の言う、天命に従う、お天道様が見ている、との言葉にも通じているように思いますが、現在の私たちにも無意識の信仰、共生意識といった見えない形で連なっているのかも知れません。
小沢氏の掲げる「自立と共生」の理念もまた、日本人が育んできた確たる共同体の支えの考え方であったのではないでしょうか。
確かに、人として優れていても、政治家として能力があるとは限らないとは思いますが、やはり、人を知ろうとする姿勢を持っていなければ、良い政治家にはなれないのでは、と思います。