小沢氏関連の裁判が行われていますが、もはや誰が見ても冤罪事件であることが明らかになってきたと思います。
以下、孫崎享氏のTwitterより。
magosaki_ukeru 孫崎 享
小沢起訴問題にあらわれた新聞記者の堕落
・小沢問題:小沢氏に対す強制起訴は検察が起訴を見送り、これに反発した正義感ある市民団体が「検察だらしない」として告訴した形をとっている。そういう印象を与える形でマスコミが報じている。しかしこれが全て検察の筋書きだったらどうだろう。多くの国民は「小沢起訴問題」の意味を問い直すだろう。
・小沢問題:小沢氏に対す強制起訴は検察が起訴を見送り、これに反発した正義感ある市民団体が「検察だらしない」として告訴した形をとっている。そういう印象を与える形でマスコミが報じている。しかしこれが全て検察の筋書きだったらどうだろう。多くの国民は「小沢起訴問題」の意味を問い直すだろう。
つまり検察が自前で起訴出来ず(通常の起訴にはあまりに証拠不足)、市民団体に強制起訴をさせる。「強制起訴」は本来ある程度の証拠があって起訴する起訴とは性格が全く違う。しかし世間はそんな詳しいことは知らない。そうか「起訴」されたのか、悪いことをしたに違いないということで、起訴された人物を政治的・社会的に抹殺する。この問題点の核心を「八木啓代のひとりごと」の「検察調書大量却下、その裏側で」が取り上げ。「石川議員が、起訴後の取り調べ内容をICレコーダーで録音、そこで取り調べている田代検事が“だから、いや、俺はね、絶対強制起訴、例えば検察庁でできれば起訴したいとかね、それがかなわなくても必ず強制起訴をして、小沢一郎を裁判にかけたいと、俺は思っていないわけ”と述べている(“僕は思っていない”と述べる形で検察全体としては強制起訴という手段を使うことを示唆している)いうまでもなくこの田代検事の上司こそが石川議員の前で、“小沢氏は不起訴になっても検審で強制起訴になる”と言ったとされる吉田正喜副部長です。」
私は八木啓代とは別件で会っている。彼女は中南米の弾圧を見てきている。そして昔、中南米で対米自立を唱え大統領になろうとした人物が抹殺される歴史をみている。同じことが日本で「検察」という道具を使い発生。deja-vu。その危険性を感知して本来歌手であるにもかかわらず今発信している。こんなこと、八木啓代でなくて、日本の“新聞記者”が行わなければならないこと。それを今“歌手”がしている。それほど日本には“新聞記者”が堕落してるのです。
(07月23日 posted at 09:13:30)
以下、八木啓代さんのブログと動画。
検察調書大量却下、その裏側で
略
こんなことになったのは、石川議員が、起訴後の取り調べの内容をICレコーダーで録音していたからで、その中にはっきり、取り調べた田代検事が利益誘導を行ったり、脅迫と取れるような表現を使っている、その言葉が残っていた。
本来なら、言った言わないで水掛け論にしかならないことで、その場合は供述調書の特信性によって、検察の言い分の方が裁判所に採用される........ものなのですが、この録音があったために、検察の言い分が崩壊する、動かぬ証拠となってしまったわけです。
その結果としての、供述調書の大量却下。
これだけでも、検察にとっては、あってはならない、血が引くような事態であるはずです。
そして、それだけではない。この却下された供述調書の中には、政治資金報告書を小沢一郎氏が知っていたという内容の調書が含まれていて、その調書こそが、検察審査会が小沢氏を強制した根拠だったのですから、小沢氏強制起訴の根拠も崩壊したわけです。
略
起訴が済んでからの取り調べというもののの是非の問題は別としても、いずれにしても、本来あるべき問いである、事実はどちらなのか、という問いかけはそこにはありません。ここにあるのは、ただ、いったん取った供述調書の小沢氏が関与しているという供述をなんとかして維持させようという、ただそれだけ。
略
・・・以上・・・
特捜部はGHQが作ったといいますが、いまだに米国に恩を感じているのでしょうか。何とも義理がたい人たちのようです。
しかし、国民が選んだ政治家を冤罪で葬る行為は、国民への弾圧と同じだと思いますので、もはや解体するほかないと思います。
マスコミも事件の真相を知っているのでしょうが、立場上見て見ぬふりをする方が自分たちに得という判断でしょう。
ここまで信頼を失った新聞社は、もはや倒産するほかない時代になりつつあるようです。