かつての大正デモクラシーの弱点を国民が何とか克服して、同じような歴史を繰り返してはならないのでしょう。
以下、銅のはしご様より、転載させていただきます。
<< 作成日時 : 2015/08/04 01:11
衆議院議員 小沢 一郎 生活の党と山本太郎となかまたち ・ 代表 ✑ 立派な明治憲法と,大正デモクラシーと呼ばれる経過を踏まえながら,なぜ,戦前の昭和史のような結果に日本がなってしまったか ✑ 明治憲法第11条「統帥権の独立」を楯にとって勝手な方向にズルズル引っ張っていった軍部官僚だけでなく,行政官僚も当然 同罪だと,私は思っている ✑ 1929年~世界大恐慌。1930年~東北の大飢饉。経済的な非常に厳しい状況下で,軍部の軍拡と軍需景気で,いっとき景気を押し上げるという形で国民もついて行ってしまい,きちんとした意思表示,判断ができなかったところに,悲劇が起きたのだろう ✒ 現在の安倍内閣は,まったく憲法を無視して,閣議決定という1つの内閣の意思表示だけで何でもできるようにするんだという ✒ 国会前は多くの分野の方々が,今の政権のやり方に疑問を感じ,これではいけないと実際的な行動に出てきておられることは,たいへん心強く,これならば歴史の轍を踏まないでも済むのではないか。自分自身も叱咤激励して,もうちょっと頑張んなくちゃいけないと思っております ✒ 国民皆さんにも,何としてでもおかしな過(あやま)った政治を正すことができるように,ぜひ,行動してもらいたい ✏ 付随的には,違憲立法審査権を持つ司法がまったく機能していない状況が非常に問題だ。とくに日本の裁判では検察官の主張が90%そのとおりに通ってしまう。外国から見るとこれでは裁判所は要らないと見える。司法の判断を無視してでも行政が突っ走ることはあり得るかも知れないが,与えられた権能をしっかりと発揮する司法であってほしい 樋口陽一 小路田泰直 小沢一郎 「立憲主義の危機」はなぜ起きるのか 近代日本史を振り返りながら (3/ ) https://www.youtube.com/watch?v=RorHjGiD5Zg&feature=youtu.be 02:10:29 44:05~45:16<省略> 司会 住友 陽文 45:16~01:03:35 小沢 一郎 生活の党と山本太郎となかまたち ・ 代表 <礼>小沢でございます。よろしくお願いします。<会場・拍手> すでに両先生から,それぞれの切り口から整然としたお話しがありましたので,私から どのような話しをして良いか,さらに戸惑っているところですけれども,あまり勉強してない自分ですので,ちょっとある意味で飛躍的なところが多々あると思いますけれども,帝国憲法と日本国憲法,そしてとくに戦前の憲法下における政治と,今の安倍政権=自民党政権の政治に関連して申し上げたいと思います。 今の日本国憲法は,帝国憲法の改正規定によって改正されました。 これは,その手続きや言葉から言いますと,帝国憲法は天皇主権「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」と。天皇主権。 そして日本国憲法は「主権の存する国民の総意に基く」という,天皇の地位まで 国民主権のところにかけて第一条を書いてあります。 大日本帝国憲法 第一章 天皇 第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス 日本国憲法 第一章 天皇 第一条【 天皇の地位、国民主権 】 天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。 ですから,言葉だけ見れば,天皇主権と国民主権というまさに真逆のものが,なんで,帝国憲法の改正規定で日本国憲法ができるのか,ということになると私は思います。 憲法の基本の基本を否定するものを作るということは,まさに革命でしかできないのだろうと思いますけれども,それをやって今の日本国憲法はできてるわけですね。 しかし私流に言わせますと,それは必ずしもおかしなことではないのではないかというふうに思っております。 それは帝国憲法も作り上げました中心人物は,先ほど金子賢太郎さんや伊藤巳代治さん(の話しが)ありますけれども,親分は伊藤博文さんでありますが。 伊藤 博文いとう ひろぶみ 天保12年9月2日(1841年10月16日)―1909年(明治42年)10月26日武士(長州藩士),政治家 金子 賢太郎かねこ けんたろう 嘉永6年2月4日(1853年3月13日)―1942年(昭和17 年)5月16日 明治期の官僚,政治家 伊藤 巳代治いとう みよじ 安政4年5月7日(1857年5月29日)― 1934年(昭和9年)2月19日 明治,大正,昭和期の官僚,政治家 ものの本からしか,私は分かりませんが,色々もっともっと主権者たる,統治権の総攬者(そうらんしゃ)たる天皇の,俗な言い方をすれば権力をきちんと明記する,出番ををきちんと作るという意見が かなり多かったことも事実だったようですけれども。 伊藤博文さんはドイツやフランスや英国へ行って憲法の勉強をしてきたわけですけれども,この憲法というのは君主権=君権,国王の権力といってもいいですけれども,これを制限し,国民の権利を守ると。そのために憲法はあると。 逆な言い方をすれば,天皇,国王,呼び方はどっちでもいいですが,その権力は,憲法の定める範囲内でその権力を行使するということなんだと。だから君らの言う,天皇陛下があらゆる場面で大権を行使するという形にやるというのは間違いだ,ということで明治憲法=帝国憲法の最終草案を作り,憲法になったというふうに聞いております。伊藤(博文)さんがそう言ったかどうかは分かりませんけれども,そう伝えられているように僕は思います。 そうしますと,現在の日本国憲法からすれば,(大日本帝国憲法は)権利の,基本的人権の条項やら色んなことについて,まだまだこれは不十分じゃないかというようなことを,色々言う方がありますけれども,それはやはりその時代的背景と状況を考えなきゃならないことでありまして,その時代でそういう基本的考えの下に帝国憲法は(できたものだ)。形は「皇祖,皇祖」から始まりと(樋口陽一)先生からもお話しがありましたが,天皇主権ということで帝国憲法はできております。けれども,実質的には非常にその時代にとってはたいへん立派な憲法ではなかったかと,私は思っております。 その意味において,帝国憲法の改正規定で日本国憲法が作られたということについては,それは色々文句を言う理由はない。それで良かったのではないかなというふうに,私は思っております。 そういう中で,戦前の立派な憲法と,そして大正デモクラシーと呼ばれるようなデモクラシーの経過を踏まえながら,どうして,戦前の昭和史のような結果に,日本がなってしまったのだろうかということであります。 まことに雑駁な話しなんですけれども,帝国憲法に「天皇は陸海軍を統帥す」という条項があります。 大日本帝国憲法 第一章 天皇 第一一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス この条文を楯にとりまして,軍部が自分たちのそれこそ浅はかな考えで横車を押して,結果としてあのような昭和史になったんだろうと,私は思っているわけであります。 私はなぜそのときに,政治家や国民が帝国憲法の条文をもう少しきちんと読み,理解しなかったのかなと,そう思っております。 それはなぜかと言うと,55条でしたか 「各国務大臣は天皇を輔弼(ほひつ)する責任」があるんだと。要するに,天皇陛下が大権を行使するにあたっても何するにしても,すべて国務大臣がその責任でもってやるということなんだ,というふうに条文に書いてあります。 日本国憲法流に言えば,いわゆる「内閣の助言と承認によって天皇は国事行為を行う」ということに表現されておりますけれども,言葉は明治時代のその当時の言葉で書かれておった帝国憲法ですし,日本国憲法は戦後の憲法としてその言葉で書かれてますけれども,基本的には同じ考え方がそこに示されているのではないかというふうに私は思っております。 大日本帝国憲法 第四章 国務大臣 及 枢密顧問 第五五条 国務大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス ②凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス 日本国憲法 第一章 天皇 第三条【 天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認及び責任 】 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。 そういうふうに考えてみますと,戦前の昭和史の軍部官僚だけが批判されておりますが,行政官僚も当然 同罪だと,私は思っておりますが,それが統帥権の独立ということを楯にとって自分たちの勝手な方向にズルズル引っ張っていった。 なぜそれが,許されたのかということを考えなくてはいけないと思います。 その 1つには,1929年(10月24日)ニュー・ヨーク,ウォール街の大暴落に始まる世界恐慌という経済的な恐慌が世界中を襲いました。したがいまして日本も,たいへんな不況に陥りました。 私は岩手県出身ですが,その当時の回覧板が残っております。 「娘を売るときには,役場に必ず相談しろ」という村当局で各家々に回した回覧板があります。「女衒に騙されちゃ,いかん」というような,そういう,ほんとうに悲惨な状況に陥ったわけです。 東北の大飢饉ということがありまして,そういうところから 農村の出身だった軍の兵隊さんが,若い青年将校の呼びかけに応じて5.15,2.26という事件に繋がったということになります。 昭和東北大飢饉 1930年(昭和 5)年―1934( 昭和 9)年 5.15事件 1932(昭和 7)年 5月15日(日) 2.26事件 1936(昭和 11)年 2月26日(水)―2月 29日(土) そういう経済的な非常に厳しい状況にあったことが,軍部の軍拡と,軍需景気でもって,いっとき景気を押し上げるという形の中で,それについて行ってしまったというのが現実だろうと思います。 やはりここで,まず政治家が一番その責任が大きいんですけれども,やはり国民もそのときにきちんとした意思表示,判断ができなかったというところに,悲劇が起きたんじゃないかというふうに 私は思っております。 そのことを考えて今の安倍内閣の状況を考えますと,まさに今の安倍内閣のやり方は,憲法をまったく無視した(やり方であり)さっき小路田先生が仰いましたけれども,それじゃあ憲法改正しなくたっていい,(憲法は)あったって,なくたって,いいじゃないか,という話しになっちゃいます。 まったく憲法を無視して,そして内閣の閣議決定という1つの内閣の意思表示だけで何でもできるようにするんだという今のやり方は,ちょっと話しのあれ(≒レヴェル)が違いますが,たいへん(私は心配をしている)。 帝国憲法下においては「統帥権の独立」の条文を楯にとって横車を押したちゅう話しですが,こっち(安倍内閣)は,まったく条文と関係なく,まったく無視して何でも進めている という,こんにちの状況。 ちょっと,やってる具体的な事実は違いますけれども,憲法をまったく無視している,あるいは憲法の本来の基本をまったく理解していない,という言い方でもいいと思いますけれども,そのやり方に非常に私は心配をいたしております。 ただ,今回は,今日の両先生始め色んな先生方,あるいは色んな分野の人たちが,こんなことではダメだということで表面に立って色んな意見を話されております。いわゆる現実の行動に出てきておられます。 その点について以前の原発のときより国会(前)に集まる人数は少ないということを言う人もいますけれども,私は,これほど多くの分野のそれぞれの方々が,今の政権のやり方に疑問を感じ,これではいけないという実際的な行動に出てきておられるということに,たいへん心強く思っておりますし,これならば歴史の轍を踏まないでも済むのではないかという感じを持っております。 自分自身も叱咤激励して,もうちょっと頑張んなくちゃいけないというふうに思っているところであります。 それから,もう1つの問題点が今あると思ってんですが,それは違憲立法審査権が司法で認められておるわけでありますが,その司法が,まったく機能していないという状況が,僕は非常に問題ではないだろうかと。それを無視してでも行政が突っ走るちゅうことは,あり得るかも知れませんけれども。 とくに,日本の裁判制度の中で,検察官の主張が 裁判で 90%以上そのとおりになっちゃう。90%前後ですか。そのぐらい,まあほとんどが検察の主張が通っちゃうと。外国から見ると,これじゃあ裁判所要らないんじゃないかと<苦笑しつつ>警察だけでいいじゃないかという話しになってしまうというくらいの実情なんで(非常に問題だと考えている)。 それが必ずしもデタラメだいい加減だということを言おうとしているのではないんですけれども,とくに こういった大事な問題については,やはり,与えられた権能を しっかりと発揮する司法であってほしいというように私は思っております。ちょっと付随的な問題点ですけれども,そのように考えております。 いずれにしても,最終的には国民皆さんが,決めることですから。 その意味で,多くの分野のリーダーの皆さんが立ち上がってきておられますので,国民皆さんにも,何としてでもおかしな過(あやま)った政治を正すことができるように,ぜひ,行動してもらいたいと。<力強い語調で> そのように思っております。以上で終わります。<笑顔。会場・拍手> 2015年 7月 24日(金) 16時~18時10分 緊急鼎談 第2弾 立憲主義の危機はなぜ起きるのか 樋口 陽一 憲法学者 東京大学・東北大学名誉教授 小路田 泰直 歴史学者 奈良女子大学文学部教授 小沢 一郎 政治家 衆議院議員 司会住友 陽文歴史学者 大阪府立大学現代システム科学域教授 |