シリア情勢の判断は、とても難しいと思いますが、中東情勢をよく知る天木氏の言葉に、やはり耳を傾けたいと思います。
以下、9月3日の天木氏のメルマガより抜粋させていただきます。
『シリア情勢によって露呈した利己主義な国、日本』
シリア情勢の悪化は今に始まったことではなく2年以上も前から続いてきたにも関わらず、オバマ大統領のシリア攻撃宣言以来、日本のメディアが急に騒がしくなった。
しかし、どの報道も、そしてその報道に反映される政府や有識者や世論のどの声も、見事に無視していることがある。
それは罪のない大多数のシリア国民の窮状をどう救うかという事である。
略
少なくとも欧米主要国では、オバマの軍事介入の賛否について政府や議会や世論が賛否を戦わせている。
日本にはそれさえもない。
なぜだろうか。
略
日本と言う国は、政府も国民も、それが自分たちに直接の利害が及ばない限り、当事者に加わったり、本気で解決策を模索しようとしない国なのだ。
すべての国民ではない。名もない一般国民は心を痛めている者は多いはずだ。
略
それは政策に直接関わっている政治家や官僚だけではない。
メディア、財界、学者、評論家、そして平和主義者も含め、名の知れた著名人を含む。
彼らは、あるいは自らの立ち位置が明らかになることをおそれ、あるいは自分の意見が批判されることをおそれ、本音を語らないのだ。
武力行使には反対だと言っていれば無難だと逃げているのだ。
そんな中で、はじめてシリア国民の視点に立った意見を述べる文章を目にした。
きょう発売の週刊朝日9月13日号に掲載されている軍事ジャーナリスト黒井文太郎氏の「アサド政権の化学兵器使用と恐怖政治」という記事だ。
略
シリア人を元妻に持つ彼はシリア市民を通じ、そして私はレバノンの友人を通じ、知ってしまった。
彼にも私にも、いまでもシリア市民やレバノンの友人の声が届く。
国際政治の駆け引きの裏で常に犠牲になり、放置され続けるのは政治に翻弄される彼ら弱者の国民だ。
略
難しいのはどうしたら彼らを救うかだ。
その第一義的責任はもちろん国民の生命と財産をあづかるアサド政権にある。
そのアサド政権を説得する第一義的責任はアサド政権を擁護するロシアと中国にある。
平和を唱えるだけでは平和は守れない。
イラク攻撃の愚を犯した米国を批判するだけでは、何の解決にもならない。
しかし、どの報道も、そしてその報道に反映される政府や有識者や世論のどの声も、見事に無視していることがある。
それは罪のない大多数のシリア国民の窮状をどう救うかという事である。
略
少なくとも欧米主要国では、オバマの軍事介入の賛否について政府や議会や世論が賛否を戦わせている。
日本にはそれさえもない。
なぜだろうか。
略
日本と言う国は、政府も国民も、それが自分たちに直接の利害が及ばない限り、当事者に加わったり、本気で解決策を模索しようとしない国なのだ。
すべての国民ではない。名もない一般国民は心を痛めている者は多いはずだ。
略
それは政策に直接関わっている政治家や官僚だけではない。
メディア、財界、学者、評論家、そして平和主義者も含め、名の知れた著名人を含む。
彼らは、あるいは自らの立ち位置が明らかになることをおそれ、あるいは自分の意見が批判されることをおそれ、本音を語らないのだ。
武力行使には反対だと言っていれば無難だと逃げているのだ。
そんな中で、はじめてシリア国民の視点に立った意見を述べる文章を目にした。
きょう発売の週刊朝日9月13日号に掲載されている軍事ジャーナリスト黒井文太郎氏の「アサド政権の化学兵器使用と恐怖政治」という記事だ。
略
シリア人を元妻に持つ彼はシリア市民を通じ、そして私はレバノンの友人を通じ、知ってしまった。
彼にも私にも、いまでもシリア市民やレバノンの友人の声が届く。
国際政治の駆け引きの裏で常に犠牲になり、放置され続けるのは政治に翻弄される彼ら弱者の国民だ。
略
難しいのはどうしたら彼らを救うかだ。
その第一義的責任はもちろん国民の生命と財産をあづかるアサド政権にある。
そのアサド政権を説得する第一義的責任はアサド政権を擁護するロシアと中国にある。
平和を唱えるだけでは平和は守れない。
イラク攻撃の愚を犯した米国を批判するだけでは、何の解決にもならない。
略
・・・以上・・・
本来、国連が機能していれば、違った展開になるのでしょうが、大国の拒否権、という前近代的な制度があるので、今回のようなケースには対処できない、ということでしょう。
国連の改革を進めるのは当然としても、一刻の猶予もないシリアの現状を打開するには、残念ながら、米仏の最低限の(警察的)武力行使を認めるしかないのかも知れません。