Quantcast
Channel: 無心
Viewing all 2344 articles
Browse latest View live

原発を笑い飛ばせ! 経産省前テント「原発よせ(寄席)」

$
0
0
脱原発運動のための砦の役割を果たしつつある経産省前テントにて、12月3日に行なわれた真打の柳家三壽を招いての「原発よせ(寄席)」の模様を、以下、野次馬雑記さんのブログより。
 
 

12月3日(土)、経済産業省前のテント内(写真下)で「明大土曜会」主催の「原発よせ(寄席)」が開かれた。今回と次回の2回に分けてその様子を報告する。(「原発よせ」は「原発やめろ」の意味。寄席との語呂合わせ。)
雨にも関わらず、テント内は満席(といってもテントは狭いので20人も入れば一杯になるのだが・・)。
読者の皆さんがその場で聞いているようなライブ感で読んでいただきたいと思い、寄席の前半部分を完全「紙上中継」する。(後半は落語なので省略)
司会は明大の米田氏。出演は真打の柳家三壽(やなぎや さんじゅ)さん(写真上中央)。三壽さんは明大出身で「明大土曜会」のメンバーでもある。

『司会 それでは、これから原発よせ寄席をやりたいと思います。師匠の紹介をしたいと思います。私は米田と申しますが、M66という何か秘密団体みたいな(団体の)世話人をやっています。M66というのは、明治大学に66年(1966年)に入学して明大学費闘争を闘った仲間という意味です。
この師匠も当時鈴木猛といっていたんですが、私はずいぶん逮捕歴があるんですが、唯一逮捕に関して負けている点があります。彼は1年生の時に凶器準備集合罪で捕まっている。私は大学3年生の時かな、その後、実刑にまでいったんですが、彼は私より唯一逮捕に関しては優れている、そんな男です。じゃあ師匠、よろしくお願いします。

柳家三壽
いやー、どうもどうも。霞ヶ関で一席なんてえのは夢でしたね、これは。
全国から結集した学友並びに労働者諸君、同志諸君。えー、原発ね、もちろん私は反対です。やっぱり日本の国は狭いからね、あんなことあると、ほんととりかえしのつかないことになっちゃいます。
私は気仙沼の出なんで津波も大変でしたが、気仙沼もさっき塩釜の女の子いたけど、塩釜だって時が来れば復興するんです。でも原発だけはこれはちょいとね、始末が悪いんでね、やっぱりあの反対を唱えていかなけりゃいけないなと、この分じゃロンドンのオリンピックもダメだね、メダルダウン、あ違うか、あれはメルトダウンだね。(笑)
とにかくあのなんていうかね、政府とか東電のね対応はまずい、「おーいお前達対応まずいぞ!即ゲンパツ(厳罰)だ。」(笑)
すみません、こんなくだらないことを喋ってますけど もね、あのー津波も、私は隆介(米田氏のこと)なんかと気仙沼行ったんですけど、今はね、うーんもっとひどいというか、結局何にもしてくれないから精神的に参ってるよねあの仮設の人たちもね、もう生きる望みもねえなんてこと言ってんですけども、やっぱり嫌なもんですよ。私も親戚だ、兄弟も失ってますが、そのたんびに、しょっちゅう気仙沼に葬式で行くんですけどね、夜になると真っ暗なんです、あの町が。
北千住の町が真っ暗、考えただけで恐ろしいでしょ。で、灯り一つ無いんです。灯りなんかいらない、いらないって言うか、もう津波でね、やられて電気も来てないわけですけども結局、そこは特区で家建てちゃいけないということになってるんで、だから電気もいかない。
ひどいもんでございますけどもね。で、また、私は冬になると寒いて言うんで支援物資を送り続けているんですね、ご婦人のものとか。ただ向こうはね、もらい馴れてるんだよね、やだねーあいつらも本当に、「タオルはいらないよ」なんてことを言っている。「お前たち、そうじゃない、みんな善意なんだから何でも頂いたら、ありがとうというそういう気持ちにならねえのか」「いらないものはいらねえんだ」もう贅沢になってんだね。ところが、その贅沢な気仙沼の人たちも実は法律には従順なんだよ。
権力はきちんと気仙沼人を法律に従順な人種にしたんだね。津波の時にみんな車で逃げた、2車線なんです。それで、後ろから海から津波が来ている、みんな車で逃げてる。ところが車に乗ってた人が「このまんまじゃ死ぬ」てんで車を降りて逃げちゃった。だからもう車が詰まって動かない。ところがこちらの1車線は、海に向うバカはいないんだよ、開いてるんだよ、開いてるのに法規守って行かねえんだよ。おかしいよ、気仙沼の連中は、みんな上から「行け行け」と言ってるんだけど、違反しないでみんな死んじゃったんです。
これは有名な話です。死ぬ時に上の人に向って「どうもお世話になりました」、そんなことある?俺だったらさ、「やだー死ぬのやだー」ってやるよね。「お世話になりました、じゃあね」そのまま流されていったんです。』

(次週につづく)

作成者 yajiuma : 2011年12月9日(金)
 
                           ・・・以上・・・
 
「明大土曜会」というのは、60年安保闘争、60年代の学園闘争などを担った明大のかつての活動家などを結集した会で、現在、再び、脱原発運動などの活動を再開しておられます。
柳家三壽さんのお話も、笑いと涙、の底に、何でいまだにそんなに国に従順なんだ、という無念さが感じられ、やはり、一味違う噺家さんのようですが、これからの更なるご活躍を願っています。

週刊ポスト『“毒まんじゅう”を喰った大メディア』

$
0
0
記者クラブ系マスコミは殆ど報道しないようなので、クロアチア大使のセクハラ問題を追及し続けている週刊ポスト12.23日号の記事の一部を、以下に。
 
 
“毒まんじゅう”を喰った大メディア
 
 野田政権に自浄能力がなく、与野党の国会議員には国益意識が完全に欠けている。それに輪をかけて本分を忘れているのは政府や国会を監視すべき大メディアである。
 もともと、田村クロアチア大使のセクハラ問題はこの秋頃から外務省内で噂になっており、新聞記者の一部は、独自に裏づけ取材にも動いていたようだ。
 しかし、本誌報道後、大新聞は一川防衛相の問責問題は連日報じているのに、田村大使のセクハラ事件については黙殺を決め込んでいる。
 外務省の“毒まんじゅう”を喰っているからだ。
 本誌が11月末に現地で田村大使に取材したことが本省に伝わると、現地大使館と本省で情報源探しが始まり、同時に木寺昌人・官房長を中心にマスコミ対策が練られたという。
 田村大使に不快感を示す外務省中堅官僚の話である。「週刊ポストが監察査察官の調査内容まで把握していることがわかると、官房は他のメディアに広がらないように手を打った。職員が親しい会社のキャップやデスククラスに、『書いたらわかっているでしょうね』と大使館問題を報じた社を“出入り禁止にする”とほのめかしたようだ。それで新聞は書けなくなった。上層部も“後追い報道をうまく封じ込めた”と少し安堵しているようだ」(報道への圧力について、玄場大臣は本誌に「聞いていない」と答えた)
 外務省記者クラブは通称「霞クラブ」と呼ばれるが、新聞社やテレビの記者は外務省に逆らえない体質がある。記者が首相や外相の外遊に同行取材する際、外務官僚から機密費で飲食の“接待”をまじえてレクチャーを受けたり、外務省に「領収書」を出してもらって出張経費を精算したりする関係にあるからだ。
 首相官邸や外務省詰めを経験したベテラン記者が明かす。
「首相の外遊の場合は同行記者にも相手国から土産が出る。中東の石油産出国では高級時計が全員に配られた。最近は経費削減で社から出る出張費も世知辛くなったが、以前は外務省に頼んで領収書を多めに切ってもらい、それで夜の遊び代やお土産代を捻出することはみんなやっていた」
そうして外務省とのズブズブの関係を築いてきたから、出入り禁止がどうのという以前に、役人ににらまれたら一歩も動けない腰抜けのカエル同然の存在なのである。
大メディアでもまだ外務省経験が浅い若手記者は、「ポストの記事で初めて知った。大臣や副大臣のぶら下がり会見でこの件を質問しなくていいのかと思ったが、上司からは何の指示も出なかった」と、さすがに報道規制に違和感を持っているが、思い切って質問する度胸はない。
本誌は全国紙、NHK、民法キー局に対し、「外務省から報道への圧力があったのか」「今後、報道するつもりがあるか」と質問した。各社の回答は別表にまとめた。
政官報のこの体たらくに、この国は自浄能力も社会のチェック機能も完全に喪失していることが証明された。大使のセクハラという外交不祥事で、おそろしい国家の現実が浮かび上がってきたのである。ただし、ヤツラ ( ・・・ )がどう談合しようとも、本誌は追及をやめない。
 
報道各社の回答  質問①、外務省から「報道するな」と圧力があったのか
 ②国益を損じるスキャンダルだが、今後、報道する予定はあるのか。
 

毎日新聞
①ない、②まだわからない
朝日新聞、読売新聞、
産経新聞、日本経済新聞、NHK、日本テレビ、TBS
フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京
 
①、②、ともに回答できない
 
 
                           ・・・以上・・・
 
回答できない、という回答を平気でするマスコミって、もう再生は無理でしょうね。
 
 
 
 
イメージ 1
 

NHK Bizスポ アナウンサー堀 潤が立ち上がった 

$
0
0
NHKの堀アナウンサー、まだテレビで拝見したことはないのですが、期待大の方のようです。干されたりしないか少し心配ですが。
 
以下、天木直人のメールマガジン2011年12月15日第889号より。
 
  NHK Bizスポ アナウンサー堀 潤が立ち上がった 
                                                          
  読者の一人から次のようなメールをいただいた。

 以下引用はじめ

 つい先程、堀潤さんというNHKアナウンサーのツイートを偶然読みました。
「除洗作業の60歳の方の死亡が、なぜ被曝と関係ないのかしっかり説明してもらいたい」
「もう国や組織に頼っていては駄目だ。僕らで考えよう、僕らで動こう」
 と言う感じの言葉でとてもびっくりしました。
 何か意図があるのか?
 それとも純粋に心から出た言葉なのか?
 地上波テレビのアナウンサーの言葉でなんだかびっくりしています。
 もし時間が有りましたら試しに読んでみてください。
  http://twitter.com/#!/nhk_HORIJUN
                                
                          引用終わり
 
 さっそく読んで見た。
 驚いた。その通り、いやそれ以上のメッセージが発信されている。
 これは事件だ。
 現役のNHKのアナウンサーが、しかも毎晩全国に発信しているNHKの若い看板アナウンサーの一人が、もはや国や組織に頼ってはいけないと呼びかけているのだ。
 はたしてNHKはどう反応するのか。
 何事もなかったかのようにやり過ごすのか。
 国会閉会後の野田民主党政権が行っている事を見ると、どんなに政治に鈍感な者でも、この政権は終わりだと気づくだろう。
 その政権に代わるいかなる政党、政治家が今の日本にはただの一人もいないことに気づくだろう。
 堀 潤氏の呼びかけは、そんな今の日本の危機に呼応するものに違いない。
 このメッセージが日本におけるアラブの春につながることを望むばかりだ。
 
                         ・・・以上・・・
 
    以下、ネットから拾った堀さんのツイートです。
   
 
福島県で除染作業に携わっていた60代の男性が亡くなった。男性の死亡原因について国は「除染作業と関係はない」としているが何故関係がないと判断したの か、その根拠も示さなくてはいけない。チェルノブイリ事故でさえ人体への影響について研究が続けられている最中だというのに。情報公開の徹底を!
 
原発で相次ぐトラブルについても同様だ。敦賀原発では再発防止策をまとめた報告書を国に提出した矢先の火事だ。再稼働にむけての拙速な帳尻合わせのような 検証をしないでもらいたい。日本の原発は古い。古い原発を無理して使ってきた。経年劣化はどの程度なのか?そもそも劣化に対応できる対策なのか?
https://twitter.com/#!/nhk_HORIJUN/status/146221746922590208
@nhk_HORIJUN 堀 潤 Jun Hori
どうしてこんなに大切な情報が原発事故から半年になって発表されるのか。僕らメディアの責任も本当に重たい。飛ばないって思ってたけど、実は飛ぶんですって、それはないよ。。。実は飛んでましたって。。。本当に本当に申し訳ない思いで一杯です。何にも役にたってない。

      【19:00 原発から45キロ地点でプルトニウム検出】文部科学省によると
      東電福島第一原発からおよそ45キロ離れた福島県飯舘村や、双葉      町 、   浪江町のあわせて6か所の土壌から原発事故によって放出
   れたとみられるプルトニウムが検出された。国の調査で原発の敷地の
   外で検出されたのは初めて。






                                         

[転載]日露戦争 詳細(その2) 司馬遼太郎史観『坂の上の雲』批判;稲葉千晴『世界から見た日露戦争』

$
0
0
日露戦争 司馬遼太郎史観『坂の上の雲』批判;稲葉千晴『世界から見た日露戦争』詳細(その2)
「勝てば<官軍>、負ければ<賊軍>」というように、<歴史は勝者から見た史観、日本政府の押し付け>である。

それでは、稲葉千晴(名城大学・都市情報学部教授)の寄稿『世界から見た日露戦争』の要点をご紹介する。
共著:『日露戦争研究の新視点』http://www.seibunsha.net/books/ISBN4-915730-49-2.htm
上記のURLでの大勢の日露戦争の歴史研究者がいて、<その学会の研究成果からの結論>と考えて良い。

【従来説1】ロシアの攻撃からの「祖国防衛戦争」であった。
【事実1】実際は「植民地侵略戦争」であった。

最近のロシア史の研究成果から「日露戦争前夜、ロシアは日本との戦争を回避するため、<朝鮮半島の利権を放棄する提案>をした」ことが明らかになった。
日本は、<ロシアの意図を見誤り>あるいは<無視して>戦争への道を突き進んで行った。
日本の開戦時の戦略目標は<朝鮮半島からのロシア軍の排除>および<東シナ海における制海権の確保>である。
<朝鮮半島の軍事占領を目標>としていた。立派な「植民地侵略戦争」である。
日本政府の公式発表鵜呑みにして、<本質を見失ってはいけない>。

【従来説2】ロシアは、日本領土を侵略する「悪の帝国」であるから、<日本は>戦争を<開始した>。
【事実2】実際は、<ロシアは>極東の軍事力が十分でなく、到底、<戦争を始められる状況ではなかった>。

ロシアの極東進出は、<1860年の北京条約獲得した沿海地方を開発するため>であり、経済的な意味合いが強かった。ヨーロッパ・ロシアからも遠く、補給もままならなかったため、シベリア鉄道の建設を始めたが、<開戦時には、まだ全線が開通していない>。<極東の軍事力も十分ではなく>到底<戦争を始められる状況ではなかった。
日本が、ロシアに対する悪のイメージに、過剰反応し、戦争に突き進んで行った。

【従来説3】英国は、「日英同盟」を結び、敵対するロシアと日本が戦争するように仕向けた。
【事実3】「日英同盟」は<戦争を行うためではなく、平和的で防衛的なものだ>と英国は考えて結んだ。英国は、<極東での戦争を避け、同時に、ロシアの中国進出を牽制するため>に結んだ。

英国は、日本がロシアと戦った場合、<日本の勝機は薄い>と見なしていたから、<戦争をけしかける積りはなかった>。
日英同盟では、<日本の朝鮮支配を英国が容認>している。この同盟は、<日英のアジア利権の維持・確保が目的>だった。
しかし、日本は、ロシアと戦う際に、<同盟に基き、英国が後ろ盾になる>ことを期待していた。戦争に際して、<財政や軍事支援なども期待>していた。

【従来説4】ロシアの南への進出から<東アジア全体を守るために日本が戦った>。
【事実4】日本とロシアとの間の<東アジア進出を巡る帝国主義戦争>であった。

戦争の結果を見れば、明確である。<東アジア全体を守るために日本が戦った>の説明は、韓国や満州への侵略のための日本政府の便法である。

【従来説5】戦争責任はロシア側にある。
【事実5】総じて、戦争責任は日本側にあるというべきでなかろうか。

日露戦争のキッカケは、1903年春に、鴨緑江を越えて、<ロシア軍が朝鮮側に入り込み>、森林を伐採し、<軍事基地を造った>という情報であった。日本側の再調査では、<陸軍が軍事基地>、<外務省は木材集積所>という異なった調査結果がもたらされた。<開戦直前の12月に、軍事基地でない事が確定>したが、其の時までには戦争の準備が進み、<陸軍の開戦論>に押し切られた。
時間を戻って、5月末、調査結果が定まらないにもかかわらず、東京では陸海軍および外務省幹部が集まり、戦争を賭しても<ロシアの朝鮮侵略を抑える>ことを決定。
6月以降、陸海軍は対ロシア戦争準備に着手。
8月、満州と韓国の問題を解決するため、ロシアと外交交渉を開始。
日本は、「満州利権をロシアに、朝鮮利権を日本に、の交換論」で、<ロシアを朝鮮半島から排除しよう>としたが、ロシアから見ると、<満州に一切利権を持っていない日本>が、交換論を持ち出すのは問題外であった。
<韓国には、ロシアと協力して日本の進出を抑えようとする勢力が存在>するから、ロシアも「韓国の中立化論」を提案。
12月半ば、陸海軍は日ロ交渉を見限り、本格的な戦争準備に取り掛かった。以後、開戦までの外交交渉は、軍事的に見れば、戦争準備完了までの時間稼ぎに過ぎない。<この12月に、軍事基地でないことが確定>これが陸軍の朝鮮侵略と誇張され、開戦に利用された。
ロシアの交渉態度にも問題があるが、(ロシア政府首脳は、アジアの小国日本が、世界最大の陸軍国ロシアに戦争を挑んでくるとは、想像もしなかった)、総じて、戦争責任は日本側にあるというべきでなかろうか。

【従来説6】日本の奇襲攻撃は合法である。その後の1907年の第二回ハーグ平和会議で、禁止された。
【事実6】開戦時の日本の奇襲攻撃は、違法ではないものの、極めて不名誉だ、と国際会議で断罪されたに等しい。
(後述)
【従来説7】日本の輝かしい勝利であった。
【事実7】<戦争継続能力のない日本>は、<ロシア側の条件を受け容れるしかなく>、日本が「栄光の勝利」を得たと解釈するのは難しい。

日本は、<サハリンを占領した>以外、ロシア領には一歩も足を踏み入れていない。<兵站が延びきり、膨大な消耗であり、最早、長春以北での決戦は不可能>であった。他方、ロシア軍は、主力部隊を巧妙に撤退しており、<日本軍を満州奥地に引き込み、一気に攻勢をかけようと狙っていた>。
ロシア皇帝は<敗北していないことを理由に、賠償金の支払いを拒否>した。ただし早急な戦争終結を求めたため、<サハリン南部の割譲だけ>を承認した。(ロシア国内では、革命運動が拡大し、戦争を継続する余力がなかった)

【従来説8】米国は、中立ではなく、<親日的>であった。大統領は、セオドア・ルーズベルト。
【事実8】米国は、日本とロシアと等距離を保った。親日的であり、同時に、親露的であった。
(後述)
【従来説9】日本の勝利は、アジアの民族解放運動に影響を与えた。
【事実9】確かに与えた。しかし、同時に欧州列強と同じように、<東アジアの他の民族>から<搾取を始めた日本>に、彼等は幻滅感を抱いた。
以前の、インドネシアの歴史教科書の紹介で明確なように、<日本の侵略戦争への批判は強い>。

転載元: ナザレのイエス御自身の信仰の形成過程と見えたもの

【Occupy経産省】霞が関に響くネネさんの「平和と脱原発願う歌」

$
0
0
60年代後半に活躍した“じゅん&ネネ”のネネさんが経産省前テントで熱唱、との記事を田中龍作ジャーナルで知り、びっくりしました。以下、田中龍作ジャーナル様より。

【Occupy経産省】霞が関に響くネネさんの「平和と脱原発願う歌」

·лº¾ʤεðÂç¥ӥë¤òÇؤËÈþÀ¼¤òÈäϪ¤¹¤ëÁáÉÄNENE¤µ¤󡣸¶»ÒÎϼ¤δ´É
経産省の巨大ビルを背に美声を披露する早苗NENEさん。原子力村の幹部たちにもやさしく歌いかけるようだった。=15日、霞が関。写真:筆者撮影=
                              略
 『じゅん&ネネ』のネネ(早苗NENE)さんが15日、経産省前で美声を披露した。脱原発や平和運動に取り組んでいるネネさんは、「女たちが十月十日座り込んでいるテントを一度のぞいてみたかった」。
 「原発事故で皆が苦しんでいる。女が産むことの苦労に気付いている。世界中の女たちが気付いてくれれば、『十月十日』を10年、100年とつないで行くことができる」。
 ネネさんは「サヨナラ戦争」「やすらぎの時代(とき)へ」の2曲を歌った。
「サヨナラ戦争」は、彼女が平和への願いを込めて憲法第9条の前文を挿入した、ファンには馴染みの曲だ。
 ♪日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し……♪
 いつもは堅苦しく感じる憲法第9条の前文が、柔らかく、そして甘く切なく胸に響いてきた。半世紀以上、生きてきた筆者にしてこんな感触は初めてである。
 脱原発はイデオロギーの押し付けではなく、身近な人への思いやりとやさしさから始まる。ネネさんの歌が教えてくれた。
 
                         ・・・・・・・・・・・
 
田中さんの活動を支援したい方は下記へ。
ÅÄÃæζºî¤μèºà³èư»ٱç´ð¶â

■郵便局から振込みの場合

口座: ゆうちょ銀行
記号/10180 番号/62056751

■銀行から振り込みの場合

口座/ゆうちょ銀行
店名/ゼロイチハチ・0一八(「ゆうちょ銀行」→「支店名」を読み出して『セ』を打って下さい)
店番/018 預金種目/普通預金 口座番号/6205675 口座名/『田中龍作の取材活動支援基金』

                         ・・・・・以上・・・・・・
 
 
じゅん&ネネさん、昔、私もレコードを買ったことがありましたが、まさか、ネネさんがこんな活動をされてるとは知りませんでした。テレビで見る機会は殆どなくなってしまいましたが、本当に成長されたと思います。
 

明日は・・・経産省前テント村。

                               略

私が原発問題の事を知ったのは、1988年。翌年1989年にはちょうど八丈島の町長選があり、原発がまだ未完成でトイレのないマンションなんだと知ったのもその時です。

そのあと、ディープエコロジーを学べば学ぶほど、問題は自分の内側にある様な気がして、精神世界の方へ入って行きました。

今それらのプロセスを経て、原発に対する認識が始めの頃の嫌悪感から大きく変化してきているのを感じます。

原発を反対している方々はこの秋にダライラマ法王が来日した時に、インタビューで脱原発に対する質問に答えた法王が今一つ歯切れが悪かった事で、
「きっとチベットでも原発を作りたいのかも」なんて推測もでて、
一部の方はがっかりした。なんて意見も出ていましたが、

仏教や宗教的な見地から、神様の視点から見たら原発の存在をただ、悪だとは言い切れないと私もおもいます。

原発、その存在自体には人類の進化のプロセスの中で決して、いけないものではないのだと。

誤解を招くとつらいんですが、ウランやプルトニウムや核融合が悪い訳ではないと。

あくまでも扱う人間の問題なんだと思います。

たとえば、アメリカのネイティブのホピ族の様な精神性を持っている人々が原発を扱っていたら、全く違う側面の展開があったのではないかしら。

キューリー夫人だって、自分の実験室で新しい発見をしている時、無心で純粋な精神状態で自分の情熱を傾けていたと思います。

そんな中でインスピレーションが降りてきて新しいアイデアや発見が見つかる。

そんなサイエンティストたちの情熱の中で導きだされてきた核融合や核反応は純粋な中立状態であって、

それらの応用が人々を助けるためや人類の進化に貢献することであるならばその存在は畏怖されながらも誠意と愛情を持って研究されてもいいものだと思うのです。

私たち人類の心や思考が、まだ十分に成熟してないために、欲望やエゴで貶しめられてしまった核エネルギー。

もちろん私は今の原発にはNOです。
システムがイノチに根差していません。その上、トイレがないなんて、住めるはずがありません。

確か2007年の春に、

出雲から六ヶ所まで歩いたWORK9の仲間に合流して若狭湾の原発を見たときに感じた、

静かな悲しみを伴った怒り。
般若の顔の様な雰囲気を醸し出して海岸沿いに建っていた原発。

これらの印象が、なぜ自分の内側に湧いたのか、今わかるような気がします。

私達は原子力発電というものをうまく扱えませんでした。

ごめんねウラン。ごめんねプルトニウム。 嫌われ者のストロンチウム・・・君が悪いわけじゃないさ。

そんな気持ちを込めて明日は唄ってきます。

                               略

                            ・・・以上・・・
 
 
 

孫さん設立の財団が福島県の子どもたちや妊婦さんの転居費用を助成!

$
0
0
孫さんが設立した東日本大震災復興支援財団が、福島の子どもたちや妊婦さんのために転居費用の助成を行っているとのことです。
 
½õÀ®»ö¶È

°ì»þžµ掠¥ݡ¼¥È

福島県にお住まいのお子さままたは妊婦がいるご家庭に対しての、一時転居に関わる費用の助成
°ì»þžµ掠¥ݡ¼¥È
¿·¤·¤¤À¸³è¤ذìÊâƧ¤߽Ф¹·迴¤򤵤줿¤ª»Ҥµ¤ޤ򤪻ý¤Á¤Τ´²È²¤äǥÉؤΤߤʤµ¤ޤء£´·¤ì¿Ƥ·¤ó¤À¾ì½ê¤òΥ¤ì¤Ƥ⡢¤ª»Ҥµ¤ޤȰ¿´¤·¤ÆÍî¤ÁÃ夤¤¿À¸³褬¤Ǥ­¤ë¤褦¡¢žµï¤Èžµï¸å¤ÎÀ¸³è¤ÇɬÍפʰú±ÛÈñÍѤäÀ¸³èɬ¼ûÉʤʤɤˤ«¤«¤ëÈñÍѤ򥵥ݡ¼¥Ȥ¤¤¿¤·¤ޤ¹¡£

制度概要

応募期間 応募方法 助成金額 助成対象
2011年12月7日(水)~2012年1月15日(日)
応募要項をお読みいただき、応募フォームからお申し込みください。
1件(1世帯)当り最大20万円(助成金の総額最大10億円)
※助成金は世帯単位で支給します。
※費用は実費・後払いとなります。
約5,000世帯
※ 応募世帯多数の場合は、選定委員会による選定を行い、助成対象世帯を決定いたします。

応募資格

  • 世帯に大学生以下のお子さままたは妊婦がいる。
  • 2011年8月24日時点で福島県内に現実の住所および住民票上の住所の両方がある。(2011年8月24日に一時転居を実行した場合も含む。)
  • 世帯(生計を同じくするお子さまおよび保護者)の2010年1月1日から12月31日までの所得の額面(税金や社会保険料等の控除前の額。手取り金額ではありません。)が500万円未満である。
  • 当財団が2011年8月に募集した一時避難支援助成を受けていない。
  • 2011年8月24日から2012年4月10日までの助成対象期間内に、一時転居のために、現実の住所を移転した、または、そうする予定がある。(一時転居前の住所と一時転居先の住所が同一市町村内である場合は、この助成の対象外になります。)
  • ※ り災証明書、被災証明書の発行を受けていない場合であっても申請することができます。
  • ※ 世帯主またはその世帯を代表する方が申請することができます。
  • ※ 応募世帯多数の場合は、選定委員会による選定を行い、助成対象世帯を決定します。

応募までの流れ

1.±þÊç»ñ³ʤò¥Á¥§¥å¯ 2.±þÊçÍ׹à¤ò³Îǧ 3.ÀìÍѥե©¡¼¥फ¤éɬÍ׻ö¹à¤òµ­Æþ

お問い合わせ先

公益財団法人 東日本大震災復興支援財団 一時転居サポート 担当
〒105-0021 東京都港区東新橋一丁目9番2号 汐留住友ビル
TEL:0120-975-053 (フリーダイヤル)
受付時間 平日・土曜  10:00~17:00 (12:00~13:00を除く)(日曜・祝日受付なし)
1月15日(日)と4月29日(日)は、お問い合わせをお受けいたします。
±þÊçÍ׹à

「原発都民投票」受任者になって署名を集めましょう!

$
0
0
 
東京都[「原発」都民投票]が12月10日から始まりました。
近くの立川駅を通ったら、幟をたてて、数名の女性達が署名活動をしておられました。

私は、政治に国民が直接かかわれる制度が何より必要、と思っているので、早速署名させて頂きました。
 
街頭署名に来られない方から集めるにはどうしたらよいか聞いたところ、受任者?になって対面で集められると教えて頂きました。

私はてっきり10人以上集められないと受任者になれないものと勘違いしていました。

一人でも良いとのことで、その場で受任者登録をして、署名簿と説明書を頂きました。

なお、集められるのは、受任者が住んでいる市区町村に住んでいる方の署名に限られてしまうとのことなので、受任者希望の方がいた時に渡すパンフレットも少し頂きました。

私の見た限りでは、結構関心は高く、署名する方も多かったです。

同一市内に限られるとなると、子供達や知りあいからも余り署名をもらえる可能性はないので、受任者になって協力してもらうのが良いようです。
 

前田恒彦元検事“捜査には問題があり小沢氏 自分なら無罪判決”

$
0
0
あの証拠改ざんの前田元検事も、小沢氏は無罪、と断言。
やはり、特捜部は、最初から予断をもってはじめ、筋書きに反する証言を隠した、ということでしょう。
前田氏にはもう失うものもないのでしょうから、すべてを話してもらいたいと思います。
 
¡Ⱦ®Âô»á ¼«ʬ¤ʤé̵ºáȽ·è¡É
K10046985111_1112170002_1112170015
 
£Σȣ˥˥塼¥¹¥ȥåפØ

“小沢氏 自分なら無罪判決”

12月16日 18時18分
民主党の小沢元代表の裁判で、元秘書の取り調べを担当し、村木厚子さんの事件の主任検事だった前田恒彦元検事が証人として呼ばれ、小沢元代表に対する捜査について、「捜査には問題があり、自分が裁判官なら小沢さんに無罪の判決を書く」と述べました。
16日の裁判には、小沢一郎被告の資金管理団体の会計責任者だった大久保隆規元公設秘書を取り調べた、前田恒彦元検事が証人として呼ばれました。村木厚子さんの事件で証拠を改ざんした罪で服役中の前田元検事は、小沢元代表に対する捜査について、「特捜部の上司は、『特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢を挙げられないと特捜の負けだ』と話していた」と証言しました。そのうえで、「特捜部の幹部らは、事件の背景にはゼネコンの裏献金があると、夢のような妄想を抱いていたが、見立てが違うと思っていた。ゼネコン側が裏献金を強く否定しても想定には合わないので、証拠として調書に残さず、捜査には問題があった。自分が裁判官なら小沢さんに無罪の判決を書く」と述べました。16日で事件の直接の関係者の証人尋問は終わり、検察官役の指定弁護士は、小沢元代表の有罪は揺らいでいないとして、元代表への報告を認めた元秘書らの供述調書を採用するよう、裁判所に求めていくとしています。
 
 
 
以下、証言の一部
指定弁護士「陸山会事件の特捜部の捜査に問題があるといいますが、簡単に説明を」
 証人「簡単にというか…、いろいろあるが、筋が違うんじゃないかと思う」
 指定弁護士「それは捜査の方法か、(事件の)見立てについてか」
 証人「一番は見立てですが、私以外の検事の取り調べがどういうものだったのかについても聞いて知っていますので、それにも問題があったと思っています」

[転載]「原発」国民投票スタッフ急募!

$
0
0
みなさま方へ

みんなで決めよう「原発」国民投票
事務局長の今井一です。
[スタッフ急募!]のお願いメールです。

大阪、東京で署名収集がスタートして一週間が経ちました。
期間2か月の東京に対して大阪は1カ月。したがって、
大阪はあと3週間しかありません。
この間、わずかの人数でほとんど眠らずに疾走してきた
ため、電話応対と受任者・署名者のパソコン打ち込みを
担当していた事務局の主要なメンバー2人が、昨日、体調
不良で戦線離脱しました。
それで、急ぎスタッフを募ることになりました。このメー
ルは京阪神のみならず全国の方に送信しています。
もし、1週間でも2週間でもやれるという方がおられました
ら、ぜひお願いします。
遠方から来られる方は、最寄りの低廉なホテルなど宿泊施設
を事務局のほうで用意します(支払いもこちらでやります)。
近隣から通ってくださる方は、交通費を全額こちらで支払い
ます。食事も用意します。
現場に行けないけどカンパをしてやるということでも、ほん
とに助かります。
事務所の電話番号や口座番号などはすべてこちらに記して
あります⇒http://kokumintohyo.com/osaka/
大阪は切羽詰まった状況になっています。ぜひ助けて下さい。
みなさん、どうかよろしくお願いします。

〒550-0015
西区南堀江3-8-12 良友ビル1階
FAX:06-7635-5392
TEL:06-4390-5930
gvotekansai@gmail.com


大阪かー大阪じゃなかったらなー大阪かー仕方ないなー大阪まではなー

転載元: すろーらいふ

従軍慰安婦を描いた田村泰次郎『春婦傳』

$
0
0
 
日韓首脳会談が、従軍慰安婦の問題で行き詰っているようですが、そもそも従軍慰安婦の存在自体、現在の日本では余り知られていないように思います。
 
 
「『春婦傳』は原稿用紙100枚の書き下ろし作品である。戦争の間、大陸奥地に配置せられた私たち下級兵士たちと一緒に日本軍の将校やその情婦たちである後方の日本の娼婦たちから軽蔑されながら,銃火の中に生き、その青春と肉体を亡ぼし去った娘子軍はどれだけ多数に上るのだろう。日本の女達は前線にも出てこれないくせに、将校とぐるになって、私たち下級兵士を軽蔑した。私は彼女たち娘子軍への泣きたいような慕情と、日本の女たちへの復讐的な気持ちでこれを書いた」《田村泰次郎『春婦傳』銀座出版版の序)。
 
この娘子軍とあるは従軍慰安婦のことである。この作品は当初は雑誌に発表される予定であったがGHQの検閲でダメになった。銀座出版で単行本として出るがこの序は削除されている。GHQの検閲は植民地支配を受けていた人々への不当な差別表現を排除するという理由であったが、従軍慰安婦の存在を曖昧にすることにもなった。この作品は戦後の直後に書かれたもので現在からは戦時下の性暴力の描き方に問題があるという批判もあるが、従軍慰安婦の存在を戦後最初に知らしめそれを克明に描いた作品である。
 
                         略
 
ここで明瞭なのは従軍慰安婦の存在であり、それが軍の関与で存在したということである。田村泰次郎が娘子軍と表現したことが示唆するものは多いはずである。軍の積極的な関与なしに従軍慰安婦は存在できなかったのは明瞭である。
 
 
                      ・・・以上・・・
 

 田村氏の元々の本文では、春美を含め慰安婦は「みんな本当の朝鮮の名前があるのだつたが、いづれも故郷の家の生活の苦しさのために、天津の曙町へ前借で買はれてきてから、日本名をつけてゐた」と、朝鮮人であったことが明確に書かれています。

 また、「春婦傳」は
谷口千吉監督「暁の脱走」(1950)鈴木清順監督『春婦傳』、と二回映画化されていますが、やはりGHQによる検閲などで設定は大幅に変えられてしまったようです。

 田村氏が所属したのは独立混成第4旅団歩兵第13大隊第3中隊であり、田村氏と同じ三重県出身の兵士が多数含まれていて、田村氏のような戦場体験は、同郷の兵士たちに共通するものでもあったのでしょう。
 
戦争末期、田村氏は古年兵として中国大陸に残ることを許されましたが、多くの兵士たちは沖縄に移動して、過酷な沖縄戦のなかで戦死しました。歩兵第13大隊の兵士で終戦後に復員できたのは総員1060名の内、わずか92名しかいなかった、といいます。
 
彼らが強いられた戦場体験・・死と紙一重の状況での性・・は、生き残った田村氏の作品を通してしか知り得ないものだと思います。
彼らや彼らと行動を共にした娘子軍の生命の尊厳や名誉を回復させることなしに、希望ある日本の未来は訪れないものと思います。
 
 
イメージ 2
 
イメージ 1

[転載]内部被曝軽視 源は法影研! 矢ヶ崎克馬氏

$
0
0

イメージ 1

東京新聞 12月16日


内部被曝軽視 源は法影研!
 原爆調査 アメリカに追随 被害隠し
           矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授

福島第一原発の事故で、放射性物質を体内に取り込む被害が現実化し始めた。しかし政府は、この大部被曝を軽視する傾向を崩していない。
矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授によると、広島・長崎の原爆被害の調査に当たった放射能影響研究所(放影研)の情報操作が、こうした変更を生み出したという。同氏は警告する。「福島で広島・長崎の悲劇を繰り返してはならない。


法影研は、1975年、被爆者の健康を調査する日米共同の研究機関として発足した。前身は、米国が1947年に設けた原爆傷害調査委員会(ABCC)だ。

「ABCCは、サンプル用に皮膚などは採取したが、治療は一切しない非人道的な調査を進めた。初期放射線による外部被曝の被害は消しようがなかったものの、放射性物質を含んだほこり(放射性降下物、黒い雨)を吸い込んだり、飲みこんだりして起こる内部被曝の被害を隠した。
米国は、原爆を残虐兵器と見なされないために犠牲者を隠し、原子力の平和利用名目で、日本に商業原発を押しつけるため、内部被曝を見えないようにした。
この悪名高いABCCを丸ごと引き継いだのが法影研だ」

この結果、1957年に施行されていた旧原爆医療法は、米国の内部被曝隠しに追随する被爆者認定基準を設けた。

「初期放射線だけに、被曝を限定し、被曝範囲を爆心地から2キロにした。内部被曝は一切無視した」

ところが、1980年代以降の原爆症認定訴訟で、被爆者たちが内部被曝の被害を具体的に証言するようになる。
国として、裁判をしのぐためには、法廷の被爆者認定基準に、『科学的』根拠を与えなければならず。内部被曝の被害も公式に否定しなければならなくなった。
この意酌んで法影研は86年、個人の被曝データを基に、それぞれの線量を推定するシステム(DS86)を発表する。
だが肝心のデータにからくりがあった。

「DS86が扱っているデータは、すべて45年の枕崎台風後に測定したものだ。枕崎台風は、広島には原爆投下から42日後、長崎には39日後に襲来し、地表の放射性物質をほぼ洗い流した。
かろうじて土中に残存していた放射性物質をそくていして『もともとこれしかなかった』とウソをついた。だから、『内部被曝の影響ない』と言い切るのは簡単なことだった」

先月末、法影研の隠蔽体質を象徴するような問題が発覚した。
原爆投下後に高い残留放射線が見つかった長崎市西山地区の住民からセシウム検出など内部被曝の影響を確認していたにもかかわらず、89年で健康調査を打ち切っていたのだ。
「DS86と根本的に矛盾する研究を続けるわけにはいかなかったのだろう。」

内部被曝軽視の姿勢は、米国が主導する国産放射線防護委員会(ICRP)の手でグローバルスタンダード化した。
原爆やチェルノブイリ事故の内部被曝データは公式記録から徹底的に排除され、犠牲者は切り捨てられた。

福島原発事故後、内部被曝の恐ろしさが広まる一方、過剰反応と冷笑する向きがある。

「内部被曝は、がんだけでなく、下痢や鼻血、のどの腫れなど様々な症状の原因になる。それなのに、医者たちの間で『福島事故での低線量被曝で今頃、健康被害が出るはずがない』という医の安全神話が形成されてしまっている。病人の心配を笑い飛ばすのではなく、命を救うために原因を虎視眈々に科学してほしい。」


IWJ 矢ケ崎克馬琉球大名誉教授インタビュー 1/8

http://www.youtube.com/watch?v=RI4CbNbDlMU



矢ヶ崎克馬氏:依然として最大の脅威は内部被曝のリスク

http://www.youtube.com/watch?v=SALUz7FJr2A





『土壌汚染 福島市・郡山市の深刻度 矢ヶ崎克馬教授に聞く 東京新聞』(一輪の花)http://bit.ly/nCrzb9
福島第一原発事故で放射能に汚染された福島市や郡山市の土壌濃度は、チェルノブイリ原発事故で健康被害が続出した地区に匹敵する

RT@mugla7: まやかしの”被爆認定基準”を斬る、内部被曝を無いものにしてきた米核戦略を告発! 「隠された被曝」矢ヶ崎克馬
http://bit.ly/frVUVL
「内部被曝」矢ケ崎克馬琉球大学名誉教授 講演録 http://bit.ly/9TbUZ6

隠された被曝 矢ヶ崎克馬教授
 http://photozou.jp/photo/show/159841/110310230

隠された被曝 矢ヶ崎 克馬
http://amzn.to/rYvKda
なぜ被爆者認定されないのか、そこには科学を装う隠蔽工作があった。多くの人が苦しむ内部被曝を無いものにしてきた米核戦略を告発。 矢ヶ崎克馬:原爆症認定集団訴訟で、「内部被曝」について証言。琉球大学名誉教授

RT@mamoru: 「首都圏の人は全員被曝しています」
http://ow.ly/7MQ6e
矢ヶ崎
先生 「子どもや妊娠を望む女性、妊婦は首都圏から避難した方がいい」 「年齢とともに放射能の影響を受けにくくなるというのは間違い。病気やストレスなく免疫が落ちていない健康なモデルでしか成り立たない」

福島・郡山市土壌汚染濃度 チェルノブイリ被害地匹敵(琉球新報)
http://bit.ly/ojRw84
福島県内の土壌は、1986年のチェルノブイリ原発事故で健康被害が続出したウクライナ・ルギヌイ地区に匹敵する汚染濃度であることが矢ヶ崎克馬琉球大名誉教授の分析で分かった。

[イラスト]内部被曝について知って欲しいこと(save child)
http://savechild.net/archives/2891.html
[動画] 依然として最大の脅威は内部被曝のリスク 琉球大学名誉教授 矢ヶ崎克馬氏

矢ヶ崎克馬参考人「メルトダウンした時に核分裂が起こった」 (低気温のエクスタシー)http://bit.ly/jedPbS


 

非電化工房』
http://www.hidenka.net/jtop.htm
貧しい昔に 戻るのではなく 新しい豊かさを 愉しめるように・・・。非電化工房では、非電化製品の発明を通して、電気でなくても快適・便利はホドホド実現できることを追求しています。


非電化工房の藤村さんのテキスト!
  『福島原発事故と放射線被曝対策』
                   by 藤村靖之(非電化工房代表、日本大学教授)』

    http://bit.ly/muXdI7



非電化工房の藤村さんのテキスト!『『福島原発事故と放射線被曝対策』

イメージ 2


イメージ 3



夕方のロードショ~♪

イメージ 4



イメージ 5


三国廉太郎が演じた 田中正造の映画 襤褸の旗

イメージ 6

西田敏行も出ています。



栃木県内河川の放射性物質調査結果

イメージ 7


イメージ 8



転載元: 一輪の花

天木直人『金正日総書記の死去は歴史の歯車を動かす大チャンスである』

$
0
0
金正日総書記の死は、日朝間の関係を正常化するまたとないチャンスではないか、という天木氏の主張は正論と思います。
以下、本日の天木直人氏のブログより。

金正日総書記の死去は歴史の歯車を動かす大チャンスである 

                                 
  金正日総書記の突然の死で日本国中が大騒ぎをしている。
 何をうろたえているのか。
 早晩ポスト金正日体制に移行することはとっくの昔に想定していたはずだ。
その場合のあらゆる対策を考えていたはずだ。
私が残念に思うのはどの報道も、どの専門家も、悪いシナリオばかりを語り、日米韓の協力による警戒を怠るなというものばかりだ。
 私はここに日本外交の救い難き愚かさを見る。
官僚に外交を丸投げしている野田首相や玄葉外相の無能さを痛感する。
 発想を根本的に転換しなければならない。
 歴史を自分たちの手で作ってみせるという気概がなければならない。
 いま日本は何をすべきか。
 野田首相は小泉元首相に頭を下げて弔問外交を頼むのだ。
 小泉元首相が金正恩と会って、親父のやり残した日朝国交正常化交渉の再開を提案させるのだ。
 それは取りも直さず拉致問題と北朝鮮の核の脅威の解決につながる。
 北朝鮮を国際社会に復帰させることができるのは日本だ、という認識が必要だ。
 朝鮮戦争を経験した米国も韓国も中国もそれはできない。
 いまこそ憲法9条を掲げた日本の出番である。
 野田首相は小泉元首相に三顧の礼をもって弔問特使を頼むべきだ。
 いやしくも小泉純一郎が政治家ならそれを光栄と思って引き受けるだろう。
 日本外交にとって千載一遇のチャンスと捉えよ。
 この事を真っ先に堂々と公言するものが出てこないものだろうか。
 発案件は差し上げるから誰か発言してくれないか・・・

 
 読者へのお知らせ
 1.来年2月の小沢塾に講師として呼ばれました。この際小沢一郎に
   どのようなメッセージを伝えたらいいか、読者の意見をお聞かせ
   下さい。
 
                              ・・・以上・・・ 
 
小泉元首相と金正日総書記による平城宣言は、米国と相談なしに進められたため、米国により潰されてしまったようだが、ここはやはり小泉さんの出番ではないだろうか。是非日朝国交正常化を実現して、北朝鮮を国際社会に復帰させてもらいたい。天木さんの小沢塾でのメッセージにも期待します!
以下、NHKニュースより。
 略
 「キム総書記と2回会談しているが、キム総書記が元気なうちに拉致や核、ミサイルの問題などを解決して国交正常化への道筋をつけたいと思っていたので残念だ。会談で印象に残っているのは、独裁者とか暗いというようなイメージはなく、大変明るく率直にものを言う人で、原稿もそんなに見ないで自分の意見を話していた。北朝鮮の国内情勢がまだどうなるか分からないが、誰が最高指導者になっても大変な時期で、だからこそ、北朝鮮は基本方針を大きく変えて核開発を放棄し、拉致問題を解決して国際社会に入ってもらうことを願うばかりだ
「未来志向で臨み、過去の問題をどう精算していくかという問題なので、与野党が拉致や核開発放棄に共通して当たるべきだ。これからも一筋縄ではいかないだろうが、しっかり基本方針を変えないでやってもらいたい。『対話と圧力』の方針は変える必要はないと思っている」

今後の脱原発デモ予定一覧

$
0
0
今後の脱原発デモの予定をデモ開催情報まとめブログ様より。

デモ日程別一覧(2011年12月16日更新)

 

日時場所タイトル時間URL
毎日東京経産省前テント共同広場反原発無期限座り込み0:00~24:00http://tentohiroba.tumblr.com/
随時東京東電前アクション!http://toudenmaeaction.blogspot.com/
毎週土曜東京新宿西口反戦意思表示17:00~19:00http://seiko-jiro.net/modules/news/
毎週水曜富山北陸電力前座り込み日中http://d.hatena.ne.jp/heiwa-toyama/20111006/p1
毎月11日京都脱原発3・11京都行動14:46~http://gensiryokunokai.blog94.fc2.com/blog-entry-12.html
毎月15日東京アンポをつぶせ!ちょうちんデモ19:00~http://red.ap.teacup.com/kysei4/789.html
第2土曜高知脱原発四万十行動12:30~http://blog.goo.ne.jp/ohma1234
毎日福岡原発とめよう!九電本店前ひろば10:00~17:00http://goodbyenukeshiroba.blog.fc2.com/
12/1(木)~9/11(火)東京東京都フクシマ村 未来を孕む女たちの とつきとおかのテントひろば10:00~15:00http://totsukitooka.seesaa.net/
12/23(金・祝)北海道Xmasデモ“泊原発を動かすな!”13:00~http://nonuke-h.greenwebs.net/action.html
青森「子どもたちに笑って暮らせる未来を!STOP原発・クリスマスパレード in 弘前」11:00~http://stopgenpathu.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
埼玉原発さよならデモ@草加14:00~http://nonukesaitama.blog.fc2.com/
東京【東電前年末ジャンボアクション!】柏崎・刈羽を廃炉に18:00~http://twitter.com/#!/toudenmaeaction
中央青学連「原発ゼロの日本をプレゼント!12・23クリスマスパレード」 14:00~http://www.zenroren.gr.jp/jp/seinen/html/menu04/2011/20111110183635.html
神奈川原発ゼロの日本をプレゼント!12・23クリスマスパレードinかながわ13:00~https://twitter.com/#!/genpatsu0_kngw
12/25(日)東京放射能はいらねぇ! 仮装!! 変身!! クリスマスデモンストレーション in くにたち昼13:00~ 夜18:00~http://nonukes-kunitachi.blogspot.com/
★★東電解散!!★★リアリティツアー2011~会長・勝俣さんちにお手紙を届けよう~13:00~
兵庫未来のこどもたちに“原発ゼロ・核兵器ゼロ”の日本をプレゼントしよう♪―12月25日クリスマスパレード&ピースキャンドル15:00~http://kaeruhyogo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/1225-7795.html
高知サウンドデモin高知14:00~http://blog.green-citizens.net/?eid=77
12/26(月)大阪◆STOP 原子力★関電包囲行動【第18弾】11:00~19:00http://stop-kanden.seesaa.net/
12/28(水)東京東京電力へ 女たちの御用納め12:00~http://onna100nin.seesaa.net/
12/31(土)~1/1(日)大阪関電前年越し座り込み12:00~12:00http://zenkopeace.blog.so-net.ne.jp/
1/1(日)東京第723回アンポをつぶせ!ちょうちんデモ15:30~http://red.ap.teacup.com/kysei4/789.html
1/10(火)東京原発ゼロ元年おめでとう!東も西も再稼働NO!東電・関電前アクション19:00~https://twitter.com/#!/toudenmaeaction
1/14(土)神奈川★脱原発世界大行進 in 横浜★http://coalitionagainstnukes.jp/
1/15(日)東京さよなら原発・あきる野・初デモ13:30~http://2011shinsai.info/en/taxonomy/term/35
2/11(土・祝)東京全国一斉さよなら原発1000万人アクション!13:00~http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2011/12/211A4_02.pdf
2/12(日)島根さよなら島根原発大集会13:30~/15:10~http://sayonara.daynight.jp/shimanegenpatsu/network/act_fromnowon.htm#20120211
2/26(日)佐賀原発再稼働にNO! いのちが大事! さようなら原発 九州総決起集会13:30~http://sayonara-nukes.org/actionweek/
3/11(日)福島さよなら原発1000万人アクションin福島http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2011/12/211A4_02.pdf
3/24(土)東京さよなら原発1000万署名集約集会13:30~http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2011/12/211A4_02.pdf
注意事項
ネットで拾った情報をそのまま転載しているので、情報が変更されている場合があります。必ずリンク元や下記サイト等でも確認してください。


 
 

山本太郎氏「政治的な弾圧以外のなにものでもない」

$
0
0
山本太郎氏が19日に佐賀地検から事情聴取されたとのことです。
以下、BLOGOS様より。

山本太郎氏「政治的な弾圧以外のなにものでもない」

2011年12月20日 23:22
 
»³ËÜÂÀϺ»ᡡ¡Ê12·î20Æü³°¹ñÆÃÇɰ
山本太郎氏 (12月20日外国特派員協会 撮影:田野幸伸)
俳優の山本太郎氏が、佐賀県庁への建造物侵入などで告発されていた件で、12月19日に事情聴取を受けたことを明らかにし、外国特派員協会にて声明を発表した。会見の詳細は追ってお伝えする。

会見で配られた声明文(原文まま)


本件告発に関する考え



 私は、本年3月11日以降、福島第一原発事故による、未だに収束が見えない放射能汚染の拡大とそれによる子供たちの身体や命に対する影響を直視し、地震列島日本のすべての原発をなくすべきであると考えました。子どもたちの未来がなくなれば、この国の未来もありません。そして、そのような取り組みを行っている住民の人々の活動に参加してきました。「人間らしく、みんなで生きて行きたい」ここに、この間の私の活動のすべての動機があります。家族、仲間、そして子供たちの命、私たちの生存の為、原発をなくそう、そう働きかけようということです。

 本年7月11日に佐賀県庁に赴いたのも、そのような動機に基づいてのことです。佐賀県知事に住民の皆さんらが玄海原発の再稼動をやめるように要望書を渡すプロジェクトに参加しました。そこには法を犯す犯罪行為の意志も認識も事実も一切ありません、現在も同様です。

 私は、9月19日に、東京で行われた「さようなら原発」集会に参加し、6万人集まった人々の前で、「生き延びる為には、原発を一斉に停止するしかないと思います」などの発言を行いました。

 その翌日、野田首相は、ウオールストリートジャーナルのインタビューで原発再稼動の意志を示しました。それと同時に私を被告発者とする、建造物侵入、威力業務妨害、暴行による告発が佐賀地検に受理されたとの報道がなされました。

 何故、ただ子どもたちの生命を守ろうとして原発に反対する一市民の私への告発が受理をされなければならないのでしょうか。私への告発、及び告発受理は、政治的な弾圧以外のなにものでもありません。原発による放射能汚染の被害者は私たちであり、加害者は原発により利益を得る「原子力村」の人々です。

 原発再稼動問題は、命の問題です。原発再稼動に反対することは、子供たちの命と未来を守るための意思表明であり、人類として必要なことです。これまで裁判所はいかなる裁判においても原発を推進する行政や電力会社を利する判決を出してきました。しかし、多くの人々が予想していた事故が起き、世界史上最も深刻な放射能被害を出し続ける現在、司法は裁かれるべき側を裁くべきです。そうでなければ司法に対する国民の信頼は失墜してしまいます。

 「被害者」たる佐賀県庁や職員の方から私は告訴すらされていません。単に遠く離れた場所で報道を見ただけの告発者の告発で何故、私は被疑者と扱われなければならないのでしょうか。私は、7月11日の行動につき、誇るべきことはあっても、釈明すべきこと、後ろめたいこと、言い訳しなければならないことは一切ありません。私はこれからもほんの一握りの人の経済的利益よりもすべての人々の生命の大切さを訴える人間として振る舞い、生きていく所存です。

 私が、今回、捜査機関に対して申し上げたいことは、以上の通りであり、他に話すことはございません。

 2011年12月19日

                                          山 本 太 郎



「坂の上の雲」への脚本家野沢尚氏の思い

$
0
0
 
 
 
 
「坂の上の雲」への脚本家野沢尚氏の思い
 
3年をかけて年末にNHKで放送されてきた「坂の上の雲」は、いよいよ25日に最終回を迎えます。
その脚本を書かれていた野沢尚さんは、7年前の2004年6月28日に自死されました。
作品も最後の部分は未完成でしたが、氏の尊敬する先輩である池端俊作氏に後を託すメッセージを遺していたようです。
「坂の上の雲」自体には余り興味はなかったのですが、今年が完結編となるので、視聴させて頂いていますが、野沢氏はどのような思いで作品を書かれていたのかを最近知りました。
以下、野沢尚公式ブログ様より。
 
 
 
 脚本家のことば             野沢 尚

 戦地に赴く心境だ。
 秋山好古にとってコサック騎兵隊と相まみえる満州(現・中国東北地方)の大地がそうであったように、秋山真之にとってバルチック艦隊と激突する日本海がそうであったように
 100年前の日本を描くこれからの大仕事は、男女の情念や、血なまぐさい犯罪といった現代劇ばかりを書いてきた私にとって「未知なる戦場」である。
 私はこれまで60本以上の脚本や小説を書いてきたが、どんなジャンルであっても「日本の今」と「そんな国にいる自分」を分析し、未来を祈ってきたつもりである。
 現在は過去によって導かれる。ならば近代日本を辿ることは、今を検証し、未来への祈りにつながるはずだ

 明治維新によって日本は劇的に解体し、情熱を抱いた「書生たち」の手作りによって国家は再構築された。
 司馬さんの言葉を借りれば、「この長い物語は日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語」である。
 わずか35年の人生を駆け抜けた正岡子規でさえ、病床にあっても精神のフットワークは軽く、陽気な生き方を貫いた。
 それは、社会のどういう階層の子供であっても、ある資格を得るための必要な記憶力と根気があれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなり得た時代だった。そして資格を取れば、いきなり国家の重要な部分をまかされる。素姓の定かでない庶民であっても、神話に登場する神々のような力を持たされ、国家のエンジンとなった。
 政府も小世帯、陸海軍も小さい。まるで町工場のような小さな国家の中で、彼らは部分部分の義務と権利を与えられ、「よし、頑張ってやろう」と意気に感じて働き、この弱小チームを強くするというただひとつの目的に向かって突き進んだ。
 明治の明るさはこの楽天主義からきていると、司馬さんは分析する。
 坂の上にかかる雲とは、ひたすら険しい坂道を登る彼らが、ようやく彼方に見た「希望」を象徴している。
 が、同時に、それは日本の未来にたちこめる暗雲でもあった。
 太平洋戦争に敗北したのは、日露戦争からわずか40年後である。
 勝利が国民を狂気に駆り立て、敗戦が国民に理性を与える。戦争の勝敗とは本当に不思議なものだと、司馬さんと同様に、私も思う。

 この物語には、研ぎ澄まされた豪傑な軍人たちと、想像力に溢れた政治家たちが登場する。
 現代日本が最も欲しているリーダーの姿である。「坂の上の雲」が日本の経営者たちの愛読書であることは、なるほどと頷ける。
 が、どんな優れた政治家や戦略家がトップにいても、戦争の最前線は苛烈を極める。凍てついた戦場にはおびただしい流血。山を埋めつくす死屍累々は腐臭を放つ。
 司馬さんの原作に私が付加できるものがあるとすれば、前述した楽天主義とは無縁の、困窮を極めた農村から徴兵された者たち――「名もなき兵士たち」が体感する、戦場での恐怖だ。
 私の視点はその時、当時の満州(現・中国東北地方)の大地すれすれにあるだろう。
 つまりスピルバーグの「プライベート・ライアン」や「バンド・オブ・ブラザース」でも描かれた戦場のリアリズムである。
 その片鱗を探るため、この2月、厳寒の203高地に立ち、想像力を傾けてこようと思う。

 私はこの物語を、私の子供たちに伝えたい。
 過去から託された日本という国を、子供たちの未来に橋渡しする役目を、「坂の上の雲」の脚色という形でまかされたのだと思う
 司馬さんにとって40代の10年間を費やした小説だったように、私も40代の代表作にするべく、全精力を傾けるつもりだ。
 
 
 
 
 
私が、野沢氏の存在を初めて知ったのは、1988年に日本テレビで放送された「喝采」(桃井かおりさん・小林桂樹さん主演、阿久悠さん原作)でした。今は売れなくなった演歌歌手の桃井さんとマネージャーの小林さんが、再起を果たすまでを描く2時間の単発ドラマでしたが、セリフに無駄がなく、話の展開も見事で、また、ドラマのために作られた歌も素晴らしく、録画して何十回観てもその度に感動してしまいました。
 
当時、カミサンはシナリオ教室に通っていたのですが、野沢氏の才能に驚いて思わずファンレターを送ってしまいました。すると、思いがけず、何日か後に氏から返事を頂いてビックリしていましたが、その後も氏の作品を観る度に感想を送り、また、氏から、お子さんに、と仕事の為使ったと思われるマンガをプレゼントして頂いたこともありました。
 
その後、スティーブン・キングが大好きな氏は、本来書きたかったミステリー物の分野へ進み、次々とヒット作を発表して有名になって行かれました。私たち夫婦は、余りミステリー物は好きでなかったので、氏の作品から次第に遠ざかっていってしまいました。しかし、すっかり大家となってからも氏は、年賀状を毎年下さり、本当にファンを大切にする、真面目な方だったと思います。
 
自死されたというニュースを聞いた時は驚きましたが、当時、氏は、「坂の上の雲」と並行して、小説を含め、いくつかの作品を書かれていたようです。いまだに自死された理由ははっきりとわかりませんが、仕事が予定通り進まなくなったことが原因では、という方もいます。やはり、「坂の上の雲」が重圧だったのかも知れません。かつて、倉本聡さんが、NHKの大河の仕事をされた時、局側が勝手に内容を変えてしまうのに抗議して、途中で降りてしまったことがありましたが、野沢氏の場合はどうだったのか・・・。
 
 
>司馬さんの原作に私が付加できるものがあるとすれば、前述した楽天主義とは無縁の、困窮を極めた農村から徴兵された者たち――「名もなき兵士たち」が体感する、戦場での恐怖だ。
 
私は「坂の上の雲」を観ながらも、その筋書きやセリフには殆ど興味がありませんでした。ただ、画面に延々と展開される凄惨な戦闘シーンで次々血を流し、死んでいく兵士たちを見続けました。野沢氏の文章を拝見して、やはり、氏の思いもそこにあったのだと知り、嬉しいです。
 
203高地」の回の最後で、日本軍が何とか勝利し、旅順港へ向けて大々的に砲撃を始めますが、その中を幼児を背負った現地のおかあさんが逃げ惑う場面がありました。
決して、単にナショナリズムを煽るドラマではないことを象徴するシーンのように私には見えました。今のような困難な時代にこそ、野沢氏の作品を是非観たいと思いますが、やはり、すべて覚悟の上の行動だったのでしょう。
 
 
 
改めて、野沢氏のご冥福をお祈りいたします。


イメージ 2
野沢尚さん
 
イメージ 1

ますますアホらしい小沢裁判 会計、法律のカリスマ教授が決定的証言

$
0
0
小沢裁判を続ければ続けるほど出てくるのは、やはり特捜部の捜査の違法性ということのようです。以下、ゲンダイネット様より。

【政治・経済】

2011年12月21日 掲載

「期ズレ」はまったく問題なし

資産取得と支出の記載時期は同一年分であるべき。問題となった収支報告書に記載を移したのは、当然の帰結だ
 小沢裁判で、またもや決定的証言だ。20日の第11回公判に証人出廷したのは、筑波大の弥永真生教授(50)。明大在学中に司法試験、公認会計士試験、不動産鑑定士試験を次々と突破。その後、東大法学部に学士入学し、首席で卒業した経歴の持ち主だ。
「弥永氏は商事法と制度会計のエキスパート。商法や会社法に関する数々の著書は司法試験志願者のバイブルとなっています」(司法関係者)
 そんなカリスマ教授が、「会計学上は陸山会の土地購入に関する会計処理は許容範囲」と、お墨付きを与えたのだ。
 陸山会は04年10月に約4億円で土地を購入し、05年1月に所有権移転の本登記を行った。本登記に合わせて土地の取得や支出を05年分の収支報告書に記載。この「期ズレ」の問題で、小沢は元秘書3人との「虚偽記載」の共謀罪に問われ、裁判に縛られてしまった。
 しかし、弥永教授は「企業財務と収支報告書の会計基準には違いがある」と主張。上場企業なら、経営実態に即した迅速な会計処理が求められるが、政治団体には株主や投資家もいないし、収支報告書の会計基準は「主婦の家計簿レベルに近い」と証言した。
 不動産取得の計上時期も「土地の引き渡し時期を外部から確認できる登記時を基準とすべき」と語り、本登記前に代金を支払っても「『前払い』にあたる。記載義務はない」と明言した。
 さらに政治資金収支報告書が国民への情報公開を目的にしていることを強調し、「支出だけを記録してもそれに見合う資産計上がなければ、国民の誤解を招く。数年分をまとめて見て、初めてひとつの取引が判明するような作りでなく、資産取得と支出の記載時期が同一年分であることが望ましい」と指摘したのだ。
 検察官役の指定弁護士は「もっぱら報告書の記載を1年遅らせるために所有権移転の登記を翌年にずらした場合も、(こうした手法が)認められるのか」と問い詰めていたが、弥永教授は「動機は関係ない」と断言した。
 ますます、裁判は無意味となり、マンガの様相を呈してきた。

被災地の方へ暖房器具を!12/26まで期間限定 緊急キャンペーン 

$
0
0
被災地の方々に暖房器具を贈ろうという緊急キャンペーンです。
以下、ふんばろう東日本支援プロジェクト様より。
12/26まで期間限定 緊急キャンペーン実施中です

企業様、個人様からの大口寄付はこちらへ

ご支援ありがとうございます!
支援が届かない1万世帯に届けるため再度のお願いです。

Åßʪ²ÈÅťȥåײèÁü
 
2011.12.21.
ふんばろう東日本支援プロジェクト代表
早稲田大学大学院MBA専任講師・西條剛央
 

ご支援ありがとうございました。皆様の温かいご支援のおかげで5000家庭の目標は達成できましたが、行政の支援を受けられないみなし仮設を中心に1万世帯以上からの申し込みがあり、さらなる支援が必要となりました。


皆様からの暖かいご支援ありがとうございました。
おかげさまで、5000家庭へ冬物家電を、という目標は達成することができました。
今回まとまった件数にお送りすることができるため、各地に点在し、支援を受けられないみなし仮設の人も含めて今後の支援にもつなげていくため、罹災証明書のコピーと一緒に申し込んでもらい希望の家電を直接郵送するという新たな方法を用いました。

そうしたところ、想定の5000世帯を大きく上回る1万世帯以上の申し込みがありました。

そして頂いた手紙の内容を見ますと、みなし仮設といわれる、アパートの借り上げ住宅や、半壊した自宅に戻られている方々が、ほとんど支援を受けられていなかったことがわかりました。まったく支援が得られない「支援空白地帯」が各所に点在しているのです。
以下、現地から届いたお手紙の一部です。直筆のお手紙に、現地で暮らされている方々の厳しい状況が綴られています。ぜひリンクをクリックして読んでみてください。
頂いたお手紙の紹介
http://pic.twitter.com/ZnT36BGt
「仮設住宅もなかなかあたらず、ようやく唯一のアパートを見つけましたが、仮説扱いにならないため、家電も暖房器具も支給対象にならず、支出ばかりが増えました。仮説住宅の人と同じ立場なのに、待遇の大きな差にがっかりしていました。」
「私は去年12月に産まれた長男(2ヶ月でした)と夫の母を津波で亡くしました。ちょうど里帰りをしていて私が買い物に出た後でした。長男は今も行方不明 です。私の実家だけは幸い、修理して今現在住んでいます。…このようなご支援のお知らせを 本当に感謝しております」
http://pic.twitter.com/SCdYqNzs
「津波で1F全て浸水で大規模半壊の判定「私の市では仮設住宅のみ様々な支援がありますが、民間借上げ住宅には何の行政の支援もありません」
「仮設住宅に住んでいれば色々な支援を受けることができますが、我が家のようなところは赤十字などの支援を一切受ける事が出来ません」

http://p.twipple.jp/S6Ef3

「自宅避難者への支援は本当にうすく、それでも「自宅でなんとか暮らせているのだからと、他の人とは比べず、自分の足下を見つめてすごしております」

http://p.twipple.jp/m5v4W

「高齢のためすきま風が入り身体が冷えてこたえます。もっと自宅難民を考えて欲しいです」

http://twitpic.com/7tfgvr
親戚宅等に避難した、私達のような立場の人たちは何もいただいていません...市の支援の仕方に不公平感を感じています。ひがみでしょうか...」
http://pic.twitter.com/iS4lBjHC
「震災で全壊の判定を受けましたが、大家に家を直してもらって住んでいます。大人4人の暮らしに仮設住宅は狭く今まで住んでいた所に戻る決意を」

http://pic.twitter.com/NOoOpbC5
石巻市70代の一人暮らしと思われる方から→「自宅を修理して住んでいるので何も支援を受けた事がなく、まだ修理も終っていません」
 
自宅避難宅の方々には赤十字からも国からも冬物家電の支給はありません

1階が壊滅的ダメージを受けて、重要家電が流されてしまった自宅避難宅では、街も仕事も失った中で、家を修理しながら生活する必要があり、多くの家庭が依然として極めて厳しい状況にあります。そしてそうした自宅避難宅の方々には赤十字の家電6点セットも国から冬物家電の支給もありません。
IMG_2902.JPG
当初は配布するコタツやカーペットを5000家庭分を目標に数量を限定せざるを得ない、と考えていましたが、皆さん大切な人を失い、家を流されたにもかかわらず、支援も受けられず、大変な状況で暮らしています。
「同じように家も流され、寒さも同じなのに、なぜ支援を受けられないのか」といった手紙の数々を読むなかで、全国の皆様のご支援により可能になった5000家庭分を超えても、できる限り全宅に希望のものをお届けしようと決めました。

国や自治体、赤十字からの支援が届かない方々に届けるため
に、12月26日までの期間限定の緊急キャンペーンを行います。
 
最終的に、新冬物家電配布プロジェクトで、申し込みがありかつ支援対象に該当する世帯は、累計13000世帯にものぼりました(すでに3000世帯は配布済みです)。これは国策規模の事業であり、国や多額の支援金を保持してる赤十字が担うべき事業のように思いますが、今それを言ってもはじまりません。
1万通もの仕分けや入力は膨大な作業になりましたが、急遽150名ものボランティアの皆さんがかけつけてくださったおかげで、短期間で入力を終えることができました。また応募が1万世帯を超えたことを受けて、トヨタレンタリース栃木の新井社長より1000万円(2500世帯分)、デジタルオアシスの石田社長より100万円(250世帯分)といった大口のご寄付をいただくといった幸甚に恵まれました。
それでもなお、12/21現在、1100万円(2750世帯分)足りないため、家電を買いたくても買えない状況にあります。
 
これまでの経験上、被災者の方は一度申し込まれると、買わずに待ってしまうものなのです。今被災地はマイナスの世界に入り相当厳しい寒さになっています。年内には全宅にお贈りして、お正月ぐらい温かく過ごしていただきたい、と思わずにはいられません。
今すぐに集めなければならないといことになると、やはりマッチングサイトを再稼働させてツイッターで広くご支援を募るしかない、と判断しました。会計的にも、「一度締めているので整理がついていたのが幸い」とのことで、マッチングサイトの年内再稼働が実現しました。
26日までの期間限定、個数限定(2000台分=4000口のみ)でカード決済可のマッチングサイト(ホットカーペット)復活させて、冬物家電キャンペーンを展開します。
被災地で温かく正月を迎えていただけるよう、本年最後のご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

個人様からのご支援先

【ご支援先の口座】 【寄付・購入専用サイトからのご支援 再開】
 

仮設住宅や自宅避難の方の状況

ほとんどの仮設住宅は二重サッシにもなっておらず、ふつうの薄い窓です(工事ははじまっているようですが、11日の毎日新聞によると「宮城は8月時点の国の調査と変わらず、2県に比べ依然として遅れていることが分かった」とのこと)。http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111111k0000m040080000c.html
sukima.jpg
夏少しでも涼しくなるように床の下は空いているため、冬は床下から冷気があがってきます。建築課の方の話によれば、壁は阪神大震災のときより1cmほどの防寒の板が入っているようですが、ほとんど変わりないとのこと。またなぜか、玄関から入るところの仕切りはどこの仮設でも十数センチほど空いています。
 
 
「寒くなってきたのでもう行政の支援をまってはいられない」
そうした中、国は防寒のための暖房器具等の支援を決めました。しかし、予算はついたものの現地に丸投げする形になっており、被災地域の行政はすでに手一杯のため、現時点で実際に暖房器具の配布ができている自治体はごく一部となっています。
ふんばろう東日本では、行政がするのであればと事態を見守っていましたが、4畳半のワンルームには一種類の暖房器具が配布されるのみであり、またそれはあくまでも国の物であるため被災者に与えられるのではなく、国に返却しなければなりません。仮設を出て行くときには与えられないのです。
何よりも、現地の仮設住宅の方々から「寒くなってきたのでもう行政の支援をまってはいられない」という声がたくさん届くようになりました。
 
仮設住宅は、ワンルームで4畳半、2DKで4畳半×2といった狭さです。3DKだとそれに6畳の部屋が加わりますが、そこに何家族も集まって住んでおり、収納もないため周囲には物が溢れています。
したがって石油ストーブや石油のファンヒーターは周囲の物に燃え移る可能性が高く、たいへん危険なため、仮設住宅に対しては、コタツかホットカーペットの支援がふさわしいと判断しました。
ホットカーペットは床に敷くためいくつあっても邪魔にならず、下からの冷気を遮りあたたかく寝る事もできます。コタツは夏もおしゃれなテーブルとして使えるものであり(仮設についているテーブルはアイロン台並に小さなものです)、家族団らんの場にもなるためスペースに余裕がある家庭では大変喜ばれます。
自宅避難宅では、コタツやホットカーペットに加えて、やはりパワーの強い石油ストーブやファンヒーターが喜ばれます。

                               略

週刊ポスト 人間・小沢一郎「最後の大構想」 より。

$
0
0
週刊ポスト 1月1・6日号に渡辺乾介さんが聞き手となって「人間・小沢一郎 最後の大構想」前編が掲載されています。その一部を以下に。
 
                                   
 
 被災者の皆さんは非常に厳しい、そしてつらい生活をずっと耐えて、長い間頑張ってこられた。亡くなった方々へのお悔やみとご家族へのお見舞いを申し上げると同時に、くじけずに頑張っておられる郷里の皆さん、被災地の皆さんに、心から敬意を表したいと思います。
千年に一度の巨大地震、大津波というのでは、人知の及ばない面もある。そこは自然災害に対する今後の方策を考えていく以外にないんだけれども、政治的には二つの大問題があります。
 
一つは原発。日本の再建だ、東北の再建だといっていますけれども、放射能封じ込めに成功しないと日本経済の再建も日本の将来もない。福島第一原発の事故はマスコミでは喉元過ぎればで、なんだか風化したみたいになっていますけれども、日本人的な現象で非常に危険だと思います。
この放射能については、何としても完全に封じ込めないといけない。そのためには、どれだけお金を使ってもやむを得ないし、封じ込めの体制の先頭に立つのは国だ、ということを僕は言い続けてきたんです。事故の現状は、東電が第一義的に責任者だからといって、東電にやらせていいという状況を超えている。国が自ら先頭に立って、主体的にやらなくちゃいけない。
原発による被災者の皆さんの生活の問題と同時に、放射能をいかにして封じ込めるか。水をかけて「冷温停止状態を達成した」なんていったって、永久に水をかけ続けるのか? 今になって、核燃料が圧力容器からメルトスルーして、もうすぐ格納容器の底のコンクリートを抜けるかもしれないなんて、呑気なことをいっているわけですね。
震災の2、3日後には、熱工学の学者をはじめ客観的に事実を見ている人たちは、必ず炉心は壊れているといっていた。燃料も必ずメルトダウンしているとわかっていたわけですよ。それにもかかわらず、政府は2か月後にようやくメルトダウンを発表して、そして最近になって落ちたウラン燃料がコンクリートを侵食して、底を突き破るまであと30何㌢だなんていっているわけです。あれ、突き抜けて土の中に入っちゃったら、汚染の拡大を止められなくなりますからね。
それをまず徹底的に封じ込めないといけない。それは国家、政府が先頭に立ってやるべきことです。
 
もう一つは統治の機構。この機会に「地域主権」を確立すべきですよ。
復興のための補正予算などで金銭的な手当は一応してあるんだけれども、そり使い方は相変わらず旧来と同じ公共事業でしょう。今までと同じパターンで補助金を出すやり方だから、仕事は遅いし、無駄が多い
政府は地方の再建、東北の再生なんていっていますが、これを機会に我々が主張してきたように中央省庁が仕切る補助金の制度を、地方自治体が自由に使える一括交付金の制度へと変える。これだけの大災害なんだから暫定的にでもやるという理屈も成り立つ。好きなように使ってよいというお金をもらえば、もっと早く、もっとたくさん仕事ができるというんですよ。(被災地の)知事も市町村長もそういう。
相変わらず予算をもらうには、いちいち中央の役所から査定に来る。学校つくるにも、海岸つくるにもすべて中央が査定して、霞ヶ関へ持っていって、そこでまた検討して、やっと補助金が出る。しかも、旧来の役所のメニューにある事業、やり方しか対象にならない。
私は、今こそ民主党が政権交代で訴えてきた補助金制度の改革を断行して、一気に「地域主権」を確立するべきだと思う。中央集権の霞ヶ関一極集中の統治機構を変える絶好の機会だと思っているんだけれども、そういう発想は全くでてこない。非常にジレンマと苛立ちを感じています。
 
 
                       略
 
 
――被災地の人たちが、苦悩、苦難、困難を抱えながらも自分たちの手で何かやらねばならないという、この大衆のエネルギーを政治が酌み取ろうとしないところが実に悲しく虚しい。
今回、一般の人たちがお互いに連帯していろいろな救助活動や復興活動に立ち上がった。これは日本人のとてもいいところで、みんなが感動した点だと思う。
一方、地方はいちいち中央の霞ヶ関の許可をもらったりするのが面倒くさくてしようがないと思っているけれども、それが政治的な運動にならない。そこが日本社会が他の国から遅れているところですね。おおきな変革を起こせない理由でもある。本来ならば、特に福島県の人たちなんか、霞ヶ関を取り巻くぐらいの筵旗デモを起こしてもよさそうなのに日本はそうならないんだね。
 
――外国なら暴動が起きても不思議はない。
政治に何をしてほしいんだというものは必ずあるはずです。それが政治の変革を求める運動につながっていかないのが、日本社会の最大の問題だね。
 
――元ソ連邦大統領のゴルバチョフ氏は回顧録で、チェルノブイリ原発の事故について、「我が国の技術が老朽化してしまったばかりか、従来のシステムがその可能性を使い果たしてしまったことを見せつける恐ろしい証明であった」と書いている。福島原発も同じ問題を内包していると思う。
溶けた核燃料を取り去るなんて、工程表に書いてある。でも、どうやって取り出すの? それをどこへ持っていくの? 何も方策がないのに、そんなことを文章にだけ書いてどうするんだ。そういう意味のないスケジュール表みたいなのをつくったって、何の役にも立たないと僕は思う。
それをこのまま放置しておくとなると、今を生きている我々が末代まで責めを負わなければならない。
 
――戦争以外であれだけの領土を事実上、失うことは大変な事態です。
(大きく頷いて)まさにそうです。
 
――それだけ重大な問題であるという意味が、政・官・財、大メディアにも共有されていない。
原発から20㌔だか30㌔あたりで、これ以上、放射能が拡散しないという保証があるならいいけれども、もっと拡散するかもしれない。まだ政府は何となく、避難した人たちがいずれ故郷に帰れるみたいな話ばかりしているでしょう。だから避難した人たちは、もしかしたら帰れるかもしれないと思って、新しい生活設計ができない。中途半端で、宙ぶらりんの状態になっている。これは政治の一番の罪だと思う。
事実上、放射能の強い地域には帰れない。だから、被災者にはきちんとそういって、新しい生活に対して支援していくべきです。皆さん、それぞれ生活設計をしてください、帰るのは当分考えられる限り無理です、ということをはっきり言わないと、避難している人たちに対する裏切りというか、背信、嘘つきになっちゃう。
 
――被災者も国民も、政治は国民のために動いてないと怒っている。例えば、原発事故では被曝予測システム「SPEEDI (スピーディ)」の情報を隠し、復興を口実にして国民に負担増を強いる。この震災の結果責任の悲劇的なところだ。
自分が担当している間は無難に過ごせばいいという事なかれ主義、悪い意味の官僚的発想なんですね。誰も泥を被らないで、かわい子ちゃんになっていたい。官僚だけでなく、政治家もそうなっちゃったということですね。
 
――あなたが唱えてきた「自立と共生」の視点から、これだけ痛み、傷んだ国土、国民、国家の震災後の在り方を語る時に、どういう再生の方向性があるのか。それは国民があなたに注目する大きな一つの視点だ。
日本には、市民の力によって政治体制を変えた歴史がほとんどないですから、自ら政治を動かそうという発想がなかなか国民の間に生まれてこない。
ただ、インターネットの広がりとともに、政治に無関心であったといわれている若い人たちがかなり関心を持ち始めて、そして実際に行動するようになったんじゃないだろうかと思う。原発の問題もそうだけれど、年金の問題でも、掛け金(保険料)を払ったって年金をもらえるのかという先行き不安が現実に出ている。いずれも結局は政治の場で解決する井以外にないわけだから、だんだん政治に対する見方が変ってきているんじゃないかという気がします。
民主主義社会では、上からの革命というわけにいかない。国民が支持し、国民が支援してくれなきゃ改革はできない。今はほとんどの人がインターネットで情報を共有できるので、普通の人、特に若い人が行動するようになってきたことに、僕は希望を見出します
 
                       以下、略
 
 
 

[転載]従軍慰安婦問題について・・・・(謝罪と賠償)

$
0
0
 韓国の日本大使館前の路上に、従軍慰安婦をモチーフにした銅像が建てられ、この問題で、政府は、1965年の条約で既に法的には終わっているとした見解を述べ、野田総理は、何らかの措置を取る可能性に言及したが、この立像については撤去を求めた。
 
 この従軍慰安婦問題を取り上げると、必ず、下記の反論が寄せられ、堂々巡りになるので、ここでその反論に対してお答えする。
 
 以前にも詳細な資料に基づいて、慰安婦問題と南京事件については、書いているので、はっきり言って面倒臭いのだが、どうも一部保守系論客などが、世論を誘導するのも目的に確信犯的な暴論を主張して、ネット右翼と言う戦争を知らないあるいは、知る術の無い若者を中心にミスリードしていると感じる。さらにごく一部だが、国会議員の中にも、従軍慰安婦の存在そのものに対して否定的な論をお持ちの方が少なからずいるので、その議論が出るたびに日韓で不毛な論争を引き起こす切っ掛けになっている事が、極東の安定に逆の効果を齎していると感じる。
 
 まず、寄せられる反論について簡単に書いてみる。
 
 1、従軍慰安婦は、軍が直接関与したのものではなく一部悪質な民間業者
   女衒によって集められ、当時許可されていた遊郭経営者が管理運営した
   もので、軍がひいては、国家が行った事ではない。
 
 2、慰安婦は、玄人の女性(売春婦)が自らの意思であるいは、その保護者に
   よって売られたもので、当時の法律に違反した行為ではない。つまり人権
   侵害ではない。
 
 3、戦後、韓国で現れた元従軍慰安婦の中には虚偽の申告をしたものが少な
   からず存在し、それらの虚偽申告は、すでに明らかになっており、偽物で  
   ある。
 
 4、朝日新聞が60年代に取り上げた根拠となった、軍関与の資料については、
   それを取り上げた日本人が、偽情報を提供したもので、直接強制的な連行
   あるいは徴用は、無かった事が証明されている。
 
 5、軍隊は、あるいは政府は、この従軍慰安婦制度を、直接運営管理してはお
   らず、民間業者へ、軍がその料金を支払ったもので、そこで働く女性には、
   それ相応の対価を支払っている。
 
 大きく分けると、この様な反論が寄せられているのだが、これらは、既に、歴史学者の間では、既に決着のついた問題である。その決着とは、軍が直接管理運営し、女性を集める行為も軍が直接行っていた。これらの証拠は、既に公文書や資料が少なからず存在し、確定したものである。
 
 また、現在、我が国が主張する国家賠償に関わる条約、1965年に締結された日韓条約により、既に個人的な損害賠償責任も存在しないと言う見解についても、ここで、明確に国際的な解釈も述べてみたいと考えている。ただし、前にも述べた様に小生は、法律の専門家でもないし、国際法が、何処まで解釈されているかなど、法理に関わる知識は、持ち合わせていないので、あくまで小生個人の集めた情報によって、その情報をそのまま、記する事にする。
 
 まず、大きく分けた5つの反論だが、これにお答えする。この5つの反論には、明確な間違いが存在している。
 
 従軍慰安婦と言う言葉が、戦後作られたと言う造語であるとする指摘だが、これは、全くの間違いである。60年代に朝日新聞が取り上げた時に朝日新聞が作った造語であるとする、反論は、その時点で誤りで、50年代に週刊現代が、「従軍慰安婦」についての記事を特集した折に既に使っており、それ以前から存在していた事は、ほぼ間違いが無い。小生の個人的な経験で言っても、祖父が、この言葉を戦前から使っていた事を記憶していた事もあり、正式な言葉ではなかったかもしれないが、言葉として戦前から存在していた可能性が高い。
 
 さて言葉としての従軍慰安婦は、さておいて、まず、軍が管理 運営、あるいは、募集に関わる直接行動を取ったか取らなかったか、であるが、これも、既に多種の公文書によって証明されている。
 
 これは、小生が発見した資料ではなが、京都大学文学部史学科永井教授による論文に掲載された、徳島県警による資料(旧内務省資料)によると、昭和13年に徳島県で、許可の無い女衒(当時の女衒は、内務省による許可を得た者だけが行える資格業務であった)もぐりの女衒と言う意味である。二人の女衒が、徳島県内の農村で数名の女性(19歳から20歳)を募集し、保護者に金銭を支払った。これは当時、違法行為であり、取り締まりの対象とされた。逮捕拘留された二人の女衒は、「陸軍からの命で行った行為であり違法ではない」と主張した。これにより、当時の徳島県警は、旧内務省に伺いをたてた、その結果、旧内務省は、陸軍省に照会、その事実を確認したが、軍に対して「日本国内で、この女衒行為は、内務省の許可による権益であるとして正式に抗議した」とされている。この時に陸軍は、特別に許可を与えた訳ではないとして、その後、それら陸軍の名前を使っての女衒行為をしてはならない旨の内容を命じたと内務省に報告している。
 
 現実に二人の女衒は、数日で釈放され、これが陸軍による女衒行為であった事は、事実であると判明している。しかし、当時の法律では、女衒が集めた売春婦は、国外には移動してはならないとされており、当時の韓国は日本に併合されていた事もあって、韓国の売春宿あるいはキーセン宿に売り渡す事は合法だったが、満州やその他、諸外国に移動させる事は認められていなかった。
 
 軍が求めているのは、あくまで最前線基地での慰安婦であり、日本国内ではない。つまり、当時の法律でも従軍慰安婦は、違法であった事が既に報告されている。
 
 元々、従軍慰安婦を求めたのは、陸軍ではなく海軍であった。それは、当時我が国の租借地である青島(チンタオ)にあった海軍基地で、陸に上がった水兵たちが、地元にある売春宿で買春をして、性病を感染させられ、長期に渡って入院せざるを得ず、中には、運行そのものに支障をきたした軍船があり、これを重く見た海軍軍令部は、国内の売春宿経営者に基地近くでの営業を求めた事に端を発する。しかし、国内の売春婦で諸外国まで売春を行いに行く女性は、高齢なものばかりで、しかも少なからず性病に罹患しており、海軍軍令部は、若い女性で、未経験者を求めた。しかし、諸外国に女衒が売り渡す事は法律で厳しく禁止されており、集める事ができずに、軍関与の女衒たちは、日本国内での募集を徐々に諦めて、半島に移動して行く事になる。
 
 この折に朝鮮総督に対して、国内法を緩和して売春婦の国外売り渡しに関与させる。これを内務省は黙認する。慰安婦たちは、満州経由で最前線の送られたのである。これを国家関与が無かったとする、一部保守系論客たちはどう反論するのだろうか?できるはずはない、全て公文書に記載された事実であるからだ。
 
 更に、強制は無かったとするのも、既に否定されている。これも内務省におよる公文書記録から、当時の朝鮮半島は、我が国領土であるから、国内法が適用されており、その中で、警察の日誌の一部が残されている(大半は敗戦時に焼却処分されているのだが、奇跡的に残されたもの)これに駐在所の日誌があり、その中に、陸軍の許可を得た女衒が、村を回ったが、何処の家も扉を空けず、ノルマを達成できないとして駐在所に相談、駐在(日本人)は、それらの家々を回り、ドア口に経ち、警察である、ドアを開けろと命じる、当時の警察は、大変に恐い存在であるから、当然、農民はドアを開ける、すると警察官は、中には入らず、ドア口で立っていると女衒が「天皇陛下の皇軍が、若い女性を求めている。」と大声を出すと、その恐さに娘を差し出す。これは、強制とは言えないが、半ば強制であることに異論はあるまい。
 
 次に、もし従軍慰安婦が軍隊の正式な管理で移動させられていれば、その名簿が残されているはず、とする反論にもお答えしておく、確かに看護婦などの軍属は部隊編成が為されているから、記録が残されている場合が多いのだが、慰安婦に関する移動記録は存在しない、しかしここが、トリックである。彼女たちは、人間として送られたのではなく、兵站として移動させられたのである。これは、現在の防衛大学校の資料に、当時の駆逐艦や巡洋艦、あるいは、輸送船などに存在する送付物資の記録などに散見している。「ウメ、タケ、ハナ」と言った女性の名前が記録にあるのだ。つまり彼女たちは、物資として輸送され、戦地へ送られたのである。当然、部隊ではないし、正式な存在ではなかった事が伺わせる。
 
 更に、中野陸軍軍医中尉による日誌や、毎日新聞社などの検閲による掲載禁止写真などにも基地内にある慰安所の映像が残されており、その中に憲兵隊が管理し運営していた様子が残っている。更に中野氏に日記には、書くにも憚られるそれらの女性の細かい内容が詳しく書かれており、これは既に出版されている。
 
 これらの状況から、軍や国家の関与は、疑いの無い事実であり、強制的な連行や徴用に近い募集の事実も記載がある。
 
 また、当時の売春婦の売り買いの相場を最後に記しておく。吉原と呼ばれた当時の我が国では一番格式の高かった場所では、200円から300円が相場で、その他、日本国内でも200円前後である。朝鮮半島の場合で、釜山やソウルなどのキーセン宿などの場合で、100円から200円である。もしわが娘を苦界に沈めなければならないとすれば、国内のこれらの地に売った場合、相当の金銭が手に入るのに対して、最前線に送る従軍慰安婦の場合、許可を得た女衒が買い取り使った前渡し金は、20円前後で、これは当時の家政婦などの一ヶ月分の給与でしかない。つまり、戦後出てきた、高級将校宅での家政婦として、あるいは軍属として洗濯婦や下働きなどで募集した事は容易に想像できる。
 
 更に、当時の国内法で18歳未満の売春婦の募集はできないと厳しく制限されていたのに対して、朝鮮半島から送られた慰安婦の過半数が15~16歳であった事も鑑みると、これは、売春婦として募集したと言うより、寧ろ下働きとして前渡を受けて応募に応じたとする方が遥かに合理的である。
 
 ただし、これらの記録は現在のところ発見できていない。何故ならば、敗戦時に殆どの公文書などを焼却処分しており、公文書にないからと言ってそれが罪を逃れるいい訳にはできないと考えている。
 
 この様に多くの資料や公文書が残されているからこそ、我が国政府は、強制的に徴用し、苦界に未成年の少女を送った事を認めているのである。更に史学者の間では既に決着のついた過去の問題であり、これを何らかの意図があってミスリードしているのが、保守系論客と右翼たちの姿である。これは歴史という学問に対す冒涜であり、また日本人として卑劣で卑怯な態度であると断じる。
 
 また、政府間で取り交わされた国際条約が、そのまま個人の賠償責任を回避できるかに対して、ドイツでは、妨げないとして、基金を作って戦後も賠償を続けている。そらが法的に正しいかは、小生には判断できないが、人間として、これらの賠償問題に政府は真摯に取り組むべきではないかと考えている。

転載元: 公平と言うこと

[転載]取得不動産を収支報告せず裏資産化する共産党!

$
0
0
取得不動産を収支報告せず裏資産化する共産党!
 ~宣誓!私は政治資金規正法の趣旨に則り、正々堂々、監視することを誓います!(v^ー°)~


http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c8/40/voteshop/folder/570171/img_570171_22061580_1?20111226070230


2月のエントリーで、ある共産党地方委員会の政治とカネの問題を指摘した。
詳しくは、まず、こちらのエントリーに目を通して下さいね。
【不思議発見!】日本共産党に「説明責任」 Part1(検証疑問編)
【不思議発見!】日本共産党に「説明責任」 Part2(謎解き編)

さて、当時、私は、
「七千五百万相当の不明朗な土地取得を、遺贈でなければ違法献金!国庫返納しろ!」と指摘した。

今般、もう一度、21年分収支報告を再確認したら、ま~なんということでしょう♪

平成23年5月13日付で、「遺贈でした」と修正してる。(笑)
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c8/40/voteshop/folder/570171/img_570171_22061580_5?20111226070230
下の画像が、以前のエントリーで使用したキャプ画像。青枠の中の赤枠の中が対象の土地。
ご覧のとおり、上の画像と違い「遺贈」との記載はありませんし、取得日も21年3月26日とありますね。
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c8/40/voteshop/folder/570171/img_570171_22061580_6?20111226070230

「遺贈」だから文句あるか!との日本共産党ですが、まだまだ、重大な疑問が残るのです。


日本共産党渋谷地区委員会、土地取得の事実を隠ぺいか?

 日本共産党の聖地、東京渋谷区を拠点とする党渋谷地区委員会。同委員会の政治資金収支報告に、不動産取得に関連した重大な疑惑がある。平成21年分収支報告書の保有資産に、突如、登場した7500万円の新宿駅至近の土地。しかし、どこにも、土地を取得したことについての記載がなかった。
 ところが、今回、土地取得日は、平成21年じゃなく、「平成17年11月に遺贈により寄付されたもの」と修正された。

 これは20年分収支報告だが、赤枠部分が、平成23年5月13日に加筆訂正された部分だ。
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c8/40/voteshop/folder/570171/img_570171_22061580_4?20111226070230
「日本共産党は、平成17年に支持者から遺贈された7500万相当の土地を、取得以来、一度も収支報告の保有資産に記載せず隠蔽していた!(^m^)!


さて、重大な問題はこれからだ。

土地を取得したとするH17年分収支報告書の要旨を確認してみよう。
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c8/40/voteshop/folder/570171/img_570171_22061580_2?20111226070230
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c8/40/voteshop/folder/570171/img_570171_22061580_3?20111226070230
ま~なんということでしょう♪
どこにも「7500万円の土地が「遺贈」により寄付された」との記載がないのだ!
「日本共産党は、7500万円相当の土地を平成17年に取得したと主張するが、17年分収支報告には、そのような事実は記載されていない!(^m^)!


後日、修正した可能性を探る。

 定期報告後に修正した場合、公報に「収支報告の一部訂正」として告示される。残念ながら17年分は公表期間が過ぎており、要旨でしか確認できない。


 平成17年分収支報告の要旨が公報に告示されるのは平成18年9月末。その後、修正したのなら、「平成18年12月から平成23年11月までの東京都公報」の中で必ず告示されるはずだ。(同検索システムは過去6年分を検索対象とし期間を過ぎた月から順次対象から外れます。来年1月になると18年12月は検索対象から外れます。ご注意下さい。)

早速、次の条件で検索を試みた。

《検索条件入力》
〇発行年月日: 指定なし
〇種別:指定なし
〇対象:すべてを対象
〇検索キーワード:「平成十八年東京都選挙管理委員会」

これを条件に上記リンク先から検索を試みた。


その結果、[25件がヒットしました。]と出る。
確認すると、ま~なんということでしょう♪
日本共産党渋谷地区委員会が、平成17年分収支報告を全面的に訂正しているじゃあ~りませんか。
平成23年7月23日付 東京都選挙管理委員会告示第88号
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c8/40/voteshop/folder/570171/img_570171_22061580_7?20111226070230
 ご覧のように、収入と支出の総額を7505万づつ増やすなど全面的に訂正している。特に注目すべきは、「年間5万円を超える寄付の内訳」に、「玉井 きみ 75,055,260 渋谷区」と訂正されたことだ。

 これは、日本共産党が、この修正によって初めて、「7500万円相当の土地を渋谷区在住の支持者から寄付により取得したこと」を政治資金収支報告に記載したことを意味する。結局、平成17年分の定期報告以後、訂正してなかったことがわかった。時価なら数億もと思われる土地を取得しながら、ずっと隠していたのである。

 皆さん、陸山会事件は、ちょっとした期ズレだけで大騒ぎしているのに、この共産党地方委員会は、土地を平成17年に取得してから、ずっと隠し続けていたのです。どちらが悪質でしょうか?このような日本共産党に小沢氏を批判する資格があるでしょうか?

 私は、日本共産党が、遊休不動産を多数保有することが公にならないよう収支報告に記載しなかったのではないかと考えている。こうした事例が、全国津津浦浦の地方委員会で行われている可能性は高いと思う。ぜひとも、国会は、消費増税を決めるまえに、徹底的に日本共産党の保有資産を洗い直し、違法なものは国庫に返納させるべきだ。そもそも、遺贈による寄付は、本来、相続税など、私たち国民の共有資産となるべきなのに、共産党の資産となってしまっている。違和感を感じるのは、私だけでしょうか?(^m^)!



http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c8/40/voteshop/folder/570171/img_570171_22061580_8?20111226070230





東京都公報 平成23年7月21日(木) 定刊14954号 本文(1~8ページ)(481KB)
最終P8には、渋谷地区委員会の別の修正が掲載されている。

























http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c8/40/voteshop/folder/570171/img_570171_22061580_0?20111226070230
お読みいただきありがとうございます。 ぜひとも応援クリックお願しまーす。(^m^)
【 ブログランキング・にほんブログ村へ 】  【 人気ブログランキングへ 】




(ご注意下さい)
当サイトは、ネット空間に漂う情報をパズルのように組み立て、あーだこーだと思いを馳せる与太話です。























http://x6.yamagomori.com/bin/ll?09402710h

転載元: 地 獄 へ の 階 段

Viewing all 2344 articles
Browse latest View live




Latest Images