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原発立地・大熊町民は訴える 原発事故被害者の生きる権利を!

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原発立地から避難されている方たちは、もう還ることなど出来ないと思われるにも関わらず、いつまで避難生活を余儀なくされるのだろう、と思っていましたが、町民の方たちの意識も少しずつ変わり始めているようですね。
<基本政策>が実現されることを望みます。
以下、野次馬さんのブログより転載させていただきます。
 
 
 


2011年3月の福島第一原発事故から1年9ケ月。いまだに、多くの人々が放射能汚染によって故郷からの避難を余儀なくされている。
そのような状況の中で「原発立地・大熊町民は訴える」という本(写真)が、今年の5月に出版された。今回のブログは、この本を紹介する。
この本は、大震災と福島原発からの放射能被害という苛酷災害を受けた福島原発直下の大熊町の人々が、今、どう暮らしているのか、何を望んでいるか、どこに向かおうとしているかを、会津若松の仮設住宅に避難している、大熊町の木幡仁(こわたじん)氏(前大熊町議)と木幡ますみ(こわたますみ)氏(大熊町の明日を考える女性の会代表)へのインタビューによりまとめた本である。

木幡ますみ氏は、昨年の10月、細野環境大臣(当時)に面会して、大熊町に中間貯蔵施設を建設するように要望した方である。
また、木幡仁氏は今年の大熊町長選挙に「帰れないことを前提に移住を訴えて」立候補した方である。
本の中からいくつかの文章を引用する。

●「大熊町の明日を考える女性の会11人国会に行く
中間貯蔵施設の話が出た時点では、私たちも反対しました。自分たちの土地や家のあるところは汚してほしくない。汚してほしくないと思ったんですけど、だんだん、放射能で帰ることが出来ないと認識されてきて、あそこしか、中間貯蔵施設を作るところはないんじゃないかと、逆に作んなきゃいけないんじゃないかと、除染されたものをどこに捨てるといっても、捨てるところはないし、それはべつに、私たちが東電に味方するとか、国の味方をするということではなくて、一刻も早く、前が見えるような、明日が見えるようなことを考えていかなければという話になっていった。
『私たちは、大熊町の段取りで国会に行ったんですが、町は女性の会が当然、国に中間貯蔵施設には反対することを主張すると思っていた。私たちが実際細野大臣に言ったのはその反対、中間貯蔵施設を作ろうということだった。』
『細野大臣には「福島県民の医療費を無料にすること、子どもが将来にわたって差別がないように被爆者手帳をつくること、そして中間貯蔵施設を受け入れるかわりに、私たちに移住するべき土地や家を用意してください」と言ったんです。
そうしたら細野大臣がびっくりしていた。』
『バスで帰る途中から携帯がじゃんじゃん鳴りっぱなしだった。バスの中じゃ携帯を止めないといけないから、みんなで知らんぷりして、携帯に出ないようにしてた。
私が女性の会の代表だから、役場から何から電話がどんどん来た。「あんたたち何を言っているんだ。何を考えているんだ」と。』

質問:8月頃、国へ面会の要望書を出した。要望書の趣旨は、中間貯蔵施設に反対する声を届けたいということだった。ところが、10月になった。2ケ月間経って、会いますよと言ってきたから会ったけれど、違うことを言った、ということですか?

『木幡ますみ そう、状況が変わったから。それよりも、除染したって帰れないでしょう、と女の人たちは思ったのよ。あんな危ないところに、チェルノブイリと同じようなところに、子どもを連れて帰ることなんか出来ない、ということだった。』

●避難所、仮設住宅での苦難
『仮設は、体育館とか、旅館とか、ホテルに比べれば、落ち着いていると言えば落ち着いている。実際に仮設に入ってみると、あったかいから入った当初はよかった。
ところが,衣類とかいろいろなのもが支給されると、荷物がだんだん増えてくる。一人か二人だったら、いいけれど、それでも、荷物の置き場所がなくなてくる。
大熊町というのは、農家が多くて、昔からの家の人が多い。だから、家が広い。そういうところで育っているから、何もなくても家だけは広いから。私などはサラリーマン家庭で、押し入れで寝るとか、狭い生活は慣れているけれども、大熊町で育った人はそうはいかないんだな。
仮設住宅は仮の住まいなんだよね。
女性の会の人も、ここの仮設の人もそうだけど、除染して帰りましょうと大熊町長は言うけれど、除染しても帰れないということがわかってきたんだよね。ここは仮の宿で、こんなところで、荷物になるものを買う訳にはいかない。お金も使えばなくなるし、農業の人だって、農業が出来るわけでもないし、収入はないから。
仮設は仮の宿で、いつまでもいるわけではないから。
こんな家が欲しいというんじゃなくて、もう引っ越しはしなくてもすむようなところに行きたいというのはあるよね。』

 
 

町長の「大熊町に帰る」方針には、山下俊一(福島県立医科大学副学長)が後押し
『木幡仁 補償に関しては、あくまで個人の問題なんだというスタンスで、だから町としてはタッチできないという立場です。
そして、比較的線量の低い所(大熊町で比較した話で、それ自身でとんでもない数字だけど)に帰るという方針で、場所は大川原という所です。東電の汚染マップで黄色いところだから、毎時3.8~9.5マイクロシーベルトなんです。年間にすると20ミリシーベルトを軽く超える。何をふざけたことを言っているんだ、ということになる。』

●原発反対を正面に町長選を闘う
『木幡ますみ 町長一人だけの立候補で、除染して帰りましょうだけでは、私たち女性はどうすんだ。除染なんかできっこないんだから、それに対抗する人が出ないといけないと周りの人たちも言っていたの。
それでも、周りの人たちは、仁さんは手術をしたばっかりだから、本人には言いづらかった。
それで、私は、意を決して「出な」と言った。
町長に対抗する人が出ないとね。
山梨に避難している人がこの仮設をわざわざ訪ねて来たんです。町長選に誰も出なかったら、自分が出る覚悟で来たらしい。その人は、こちらが出るということがわかって安心して酒飲んで帰った。
出てよかったね。出なかったら、もう大変だったよ。』

<こわた仁の基本政策>
1 放射能汚染の著しい現実を直視し、「地元には帰れない」ということを前提とした新たな取り組みを行います。
・町民集団としての移住保障を政府に求めます。
・移住先での雇用・生活保障を政府に求めます。
2 町として町民の東電賠償請求を支援します。
・役場に弁護士常駐とし、賠償請求のモデルプランを作成、請求をスムーズに行えるようにします。
・賠償実施までの間に生活資金が不足する町民を経済的にサポートします。
・大熊町役場から東電職員を撤退させます。
3 避難地域毎に保育所を設置します。
4 町長室の扉を常時開放します。
・町民懇談会を各地域で実施し、町民との直接対話を進めます。
5 原発をなくします。

『木幡仁 全体の反応は良かった。しかし、会津若松の仮設では、うちの周りもそうだけど、帰りたい一色で、反応は悪かった。しかし、私に入れてくれた年寄りの票もけっこうあった。
木幡ますみ 選挙をやって、物が言えるようになったよね。大熊町は「原発に反対」と一言も言えない町だったのが、お父さんが出たお陰で、ああだこうだと言えるようになってきた。これまでの雰囲気とは全く違う。
除染、除染と言ってきたけど、除染しても帰れないべな、と言えるようになったよな。
選挙は負けたけど、あの時の選挙は正しかったね、と言ってるよね。』

●そんなに帰りたかったら、あんたが先に帰りなさい
『私の知っている人の息子が、二十五歳で、血尿が止まらなくて鼻血も止まらない。心臓がドキドキすると言っている。
それはひどいんじゃないの、あんた被爆しているよとは、でも簡単に言えない。
だから、大熊町の人たちに、放射能のことがわかってほしい、と思っている。今度、大熊町の人たちに向けた、放射能の学習会もそれを考えたから。今後も、大熊町の人たちに、放射能の出前授業をしていかなけゃと思っている。
俺は、原発に二十年、三十年いたから大丈夫だ、だから俺はいいんだと言う人がいる。でも、それじゃ、若い人はだめなんだよね。
私は町長に言ったんだよ。怒られたけど。
「町長さん、そんなに帰りたかったら、最初にお帰りください。何でもなかったら、十年後、私は帰るから」と。
そうすると、町長は「仁ちゃん、体が弱いかんな」と。
だから言ったの。「そうなんだ。だから町長さん、先に帰って。」
女性の会では、かえりたい人には帰ってください運動をやろうかなと言っている。その代わり、帰りたくない人には、移住権と定住の保障をきちんとしてくれと。帰りたいと言っている人を、いつまでも、とめることねえべって言ってんだ。』

町長戦の結果は 木幡仁2,300 現町長3,400だった。
最後に木幡仁氏からのメッセージ
『私たちの闘いは、始まったばかりです。全ての原発事故被害者が普通に生きていけるように、皆さんのご支援をお願いします。』

本の内容を一部抜粋して掲載したが、やはり本を通読していただきたい。
木幡ますみ氏は、今年の4月に行われた「ウシトラ旅団1周年記念ライブ」でのゲスト・トークを行っている。(写真)

※「原発立地・大熊町民は訴える」木幡仁・木幡ますみ 共著
拓殖書房新社発行 定価 1,700円+税

※ 4大学共闘共同行動のお知らせ
Nuclear Free Now さようなら原発世界大集会
■日時:12月15日(土)13:00~ 
■会場:東京・日比谷野外音楽堂
■14:30 「Nuclear Free Now 世界大行進」出発
 
13時に日比谷野音集合です。飛び入り参加歓迎!多くの方の参加を期待しています。

(終)
作成者 yajiuma : 2012年12月7日(金)

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